いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

近所のTSUTAYAに標的がいたかもしれない 2020/05/23

昨日飲んだハイボールが体内にズンと残っている。レモン風味の炭酸水と角瓶で、レモンハイボールを作ってみたがやはり人工的なレモンの風味が強すぎて、本来のレモンのあの控えめな存在感引き立つ酸っぱさは出ていなかった。次からはレモンも宅飲みで用意することにする。

昨日書いたESをポストに投函ついでにスーパー。無性に辛いラーメンが食べたくなり、スーパーで一番辛そうなインスタント麺を購入した。その後文具を買うためにTSUTAYAへ。セルフレジの整列場所がわからなかったのか、AVでも借りようとしていて早く帰りたかったのか、真相はわからないがおじさんにセルフレジに割り込まれた。

使い込まれたウエストポーチに中学校指定の運動靴のようなスニーカー。コロナ対策のつもりなのか軍手を着用してる、少し薄汚い、できれば近寄りたくないタイプのおじさん。コロナ対策でマスクをつけるのはもちろん理解できるのだけど、軍手って本当に意味があるのか疑問に思ってしまう。手にウイルスがついた状態で顔などに触れて、そこから感染するのを防ぐ狙いなのだろうが、実際問題軍手している手で顔を触ってしまったりしたら元も子もない、つまり無意味なのではないだろうか?むしろそういう軍手おじさん、軍手をして外出しているから自分の手は清潔である、と変な自信を持って手洗いをサボっていそう。そういう失礼な偏見もあり、マスクしていない人間よりも汚い存在に思えてしまう。

そんな人間の割り込みに一瞬ムッとなったがそんなことで変に書店で騒ぐのも嫌だったので見逃した。レジに割り込んだ割にセルフレジの扱いになれていないのか、モバイルTカードの起動の仕方がわからないのか、手慣れていない様子でスマホをいじろうとして、着用してた軍手をもたもた外してレジ前で操作していた。テクノロジーに置いていかれた人間、助ける人はだれもいない、ただただレジ待ちの列が長くなるだけだった。

帰宅してすぐに買ったラーメンを調理。期待していた半分も辛さが主張してこなかったのでショック。インスタント麺特有のあの麺の味と、深みのない辛さにがっかりしながら昼食をすませた。辛さにもそれを表す数値みたいなものができればいいのに。

ずっとずっと見てるテラハの現役キャストが自殺した。自分はそんなに好きではない、むしろ嫌い寄りのメンバーだったのでSNSをフォローしていなかったので後から知った身分なのだが、ずっと粘着質なアンチに絡まれ続け、それに精神をやられてしまっての自殺らしい。

韓国とかでは元KARAのメンバーなどが同じ結末をたどっているので珍しくはなかったが、リアリティ・ショーの出演者がネットの誹謗中傷により自殺。という見出しはインターネット学級委員会の皆様には一大事件のように思えたらしく、報道から20分もせずに、その自殺をテーマにした様々な動きがみられた。

アンチを特定し、糾弾するファンもとい怒れる人々。番組やキャストに責任を求める怒れる人々。番組のファンすらも敵にして怒れる人々。みんな何かしらに盛大に怒っていた。そこまではまだ自分もわかる。毎週番組を楽しんでいた自分からしたら自分を楽しませてくれた人を殺したも同然なのだから。ギリギリ、理解できる。やりすぎだとは思うけれど。

自分がそれ以上に薄ら寒さを感じたのは、そういう怒れる人に混じって、この”著名人がネットの誹謗中傷が原因で自殺”のトピックをトリガーにして自分の怒りを発散し始める外野の著名人だったり、偽善者だったり、このトピックをお題にしてどれだけ大衆に共感してもらえる文章を書けるか。そういう空気になってる評論家ぶったアカウントたち。

その人たちにとっては自殺した女子プロレスラーなんてただのカカシばりになんの思い入れもない、ただの皆の関心を引きつけるトレンドでしかないだろうに、そういう事情をひた隠しにして、人の死をコンテンツのように扱っているのが本当に気分が悪かった。正直このブログにこの話を書くのをやめようか考えたくらいには、この話題は口に出したら自分が世間に負けてしまうように思えた。

アンチに怒りを覚え、怒りの末にアンチに攻撃を仕掛けるアカウントも大量にみかけた。人殺し。人殺し。人殺し。このワードが6件くらい並んだアンチのリプ欄は夢に出てきてもおかしくないくらいは不気味だった。

果たして本人は何を望んで、はたまた何を望めない状況になって死を選んだのかは誰にもわからない。でもこの形は絶対におかしい。そのようなアカウントから感じられる怒りの質は、浅く、粗末で、研ぎ澄まされていない。出来かけの氷つぶてのような脆い怒りのように見えた。その怒りの出処は、わかりやすい悪を成敗する体をなした自慰行為的な、目に見えない匿名の悪意に怯えるがゆえの反動形成も兼ねた虚栄心からくるものなのだろう。古い時代からある魔女狩りのようなわけのわからない自治をそのまま見せられているような気分になった。

そのボロボロの怒りをぶつけている人間のたどり着く先ってどこなんだろう。アンチが顔を出して謝罪を述べた瞬間?そんなことがあるわけがない。事件に関わった番組の打ち切り?悪役を担当していたスタジオキャストの降板?それをやっても死人は生き返るわけではない。多分正解はどこにもないのだと思う。このままこの話題がうやむやになった3日後のことを考えてみる。とてもその怒っていた人間たちが同じようにそのアンチに怒りを保ち続けている様子は想像できなかった。多分次の脆い怒りをぶつけられる先を見つけて、怒りをぶつけるのだろう。もしかしたら今日自分が遭遇したセルフレジに横入りするおじさんが標的になるかもしれない。イナゴの大群のように怒れるものに群がり続けていくのだと思う。生産性もなにもなくて吐き気すら覚える。

 

その一方、こうやって自分の中の怒りをドバドバにキーボードにぶつけていたら少し冷静にもなれた。こういうイナゴの大群のような偽善の正義や、自粛警察。わけのわからない勢いで周囲の悪(と勝手に分類したもの)に正義()の鉄槌をぶつけまくる人たち。これは義務教育の中で形成された道徳観に基づくものなのではないか。と感じた。様々な学級会などで、正しい道徳を教え込まれ、金太郎飴のように個性を殺した集団生活を強いられ続け、周りにうまく馴染むことこそ処世術と教え込まれてきた人間が、そのまま成長するにつれて、自分の怒り、とかやるせない感情とかそういう普段溜め込んでいるものを発散する方法をわからなくなってしまったが故の結果なんじゃないか。そういう気分になってくる。自分の中で不快に感じるトピックも、周囲が我慢しているから我慢しないといけない、我慢。これを不快に感じているのが自分だけだったらどうしよう。不安だからとりあえず、我慢。この連続で負の感情がパンパンになっているところで、大勢の人が怒っている事柄を見つけたらどうなるか。おそらく安心するのだろう。

「これには怒っていい。これは不快なものなんだ。許せない!糾弾!糾弾!自分たちは正しい!」

こうやって、自分の中で疑い、殺していた負の感情を発散させているのだろう、いや、もしかしたらこれ以外に怒りの発散方法を教わってないからこれしかできないのかもしれない。もし、そうだとしたら今躍起になってアンチを叩いているイナゴの大群のような「正義」は、集団生活至上主義の中で生まれてしまったモンスター。被害者なのかもしれない。今ネットでは、ネットリテラシーの側面でああだこうだ言われているが、mン台はそれ以前のところにあるのだと思う。感情の表現方法が抑圧されたなかでの、他人が用意した悪にしか怒れない感受性。そこが問題だろう。

 

ネットはまだこの話をしたいみたい。自分はもううんざりだったので、ネトフリに避難。放置してたBNAの後編を一気に見た。確かにTRIGGERがTRIGGERしてて、面白くはあったが、「TRIGGERのアツイアニメ!」の法則を全てぶっこんだラストシーンは暑苦しさとエモさよりも先に「出た!TRIGGERのお約束!」「お家芸!」と笑いがこぼれてしまうようになった。まぁこれが見たくてTRIGGERのアニメを見ている節があるので、なにも不満はないけど、もっと純粋に楽しみたいなと思った。だってカレー屋でカレー頼んでカレーが提供されたときにいきなり笑いだしたらキモいじゃんね。アニメとかドラマとか観るときのフラット観。なくさないようにしたいな。