いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

俺たちは壁に騙されている 2020/05/22

11時に起床。携帯見ながら夜更しって本当に生産性もないし、次の日の活動時間を奪っている感があるので二度としたくないが、多分今日もする。

面接を控えているが、何も準備を出来ていないので、慌てて企業のサイトを眺めて一夜漬けならぬ一時間漬け。面接は学生2:人事1。自分と一緒に受けた学生、自分以上に喋れてなくてこちらが不安になってしまったが、人の心配なんかしてる場合じゃないくらい自分もガタガタだったので多分あっちもあっちでやりづらかっただろうな。二人してガタガタ。

今日あったいいことを書く。一個目、人参の切れ端を水に浸けていたら茎が伸び始めた。まだ2cmくらいだけれども確かに成長している。こういうふうに時間の経過で何かがわかりやすく前向きに成長してる様子が見えると自分の時間が無駄にはなっていないような気分になれるので良いと思った。

二個目、サボっていたエントリーシートを2つ片付けた。ネトフリを見ていても寝ていても、ずっとそのエントリーシートをやらないといけないモヤモヤに悩まされていたが、これでそのモヤモヤから解消されると思うとESの完成度は度外視で気分が良くなる。

無性に酒が、というか炭酸が飲みたくなり角瓶と炭酸水を買った。セールをやっていて、サントリーが出している良さげな炭酸水がそのスーパーで取り扱っているPBのものと1円しか変わらない価格で販売していたので、迷わずサントリーを買った。あ、これもいいことかも。帰宅したら妹がよそ行きの服を着ていた。このご時世にどこか出かけるのか気になったので訪ねてみたら、なんと妹も酒の買い出しに出ていたらしい。昨日アップデートしてやったPCを使ってオンライン飲み会デビューをするらしい。壁一枚挟んだ隣の部屋ではインフラがかなり遅れていたのを感じ取った。

壁一枚、あるかないかで心の落ち着き具合が変わること結構あるが、なんか騙されてる感じする。駅のトイレとか、狭い場所に無理やり個室を増設したところとかにありがちなのだけど、なぜか便器が向かい合った形で設置されているトイレとかがあったりする。その向かい合ったトイレを向かい合っていることを認識しながら使うと自分はどうにも落ち着かないのだ。自分がトイレでズボンを下ろしてる瞬間に、真向かいで壁一枚挟んで対面で、もうひとり見知らぬ誰かがズボンを下ろしている。そういう状況に置かれているのではと考え、壁の向こう側を想像してしまう。もしもなにか地震とか、そういう事故が起きてその壁が崩れたら、ズボンを下ろした人間と対面してしまうんじゃないか。みたいな、ありもしない想像をしてしまう。 

でも冷静に考えると、壁を挟んで向かい合って何かをしている光景を真上から見たときって、なんともいえない面白さを感じられるように思える。自分だけかな、自分だけかもしれない。ネットカフェみたいなたくさんの人がひしめき合ってる空間を真上から見てみたい。みたいな願望があったりする。ドラマとかで似たような描写をされているシーンに巡り合うとテンションがあがる。というか、何かを真上から見た様子が好きなのかもしれない。漫画とかのサブコーナーである、主人公の部屋の間取りとかを真上から描いて、細かく説明してるページとかも好きだったな。自分の中のこの関心はどこに向いているんだろう。観察が好きなのかな?はっきりしない。