いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

追い風だって振り返ったら向かい風 2020/05/19

〇〇のときに一回はやっておきたいこと、そういうのは皆大小問わず何かしらあるだろう。高校までに一度は恋愛したいだったり、社会人になるまでに海外旅行行っておきたいだったり。こうやって例を挙げようとしたが、命題にした〇〇”のときに”やっておきたいことのスタンダードが思いつかなかった。〇〇”までに”ならたくさん思いつくのだけど、そのシーズン限定の事柄の中で、なおかつ強制ではないけどやりたい!と思う事柄ってスタンダードな基準がないのかもしれない。自分の場合は今言えるのは3つ。

 

『学生時代に授業をサボって鎌倉に海を見に行って、海沿いでハンバーガーを食べたい』

 

『そのサボった先の海沿いでハンバーガーを鳶に掻っ攫われたい』

 

『就活シーズンに面接ブッチして昼からお店でビールを飲みたい』

 

が今叶えたいシーズン限定の特別感が倍増する、たわいもないやっておきたいことだ。上2つは絶対に達成できると甘んじていたら世間が感染症の影響で大変なことになってしまって簡単に叶えられる事柄ではなくなってしまった。最後の項目も同じ。面接一つでも画面越しなので、最悪飲酒してもなんとかなっちゃうんだろうけどもそうじゃない。酒が飲みたいのではなく、面接をドタキャンして、この就活のベルトコンベアのようなものに抵抗し、世間の常識から向かい風を感じたいのだ。酒はその先のカタルシスを増長させる助けでしかない。

どんな形でもいい。世間の流れに逆らっている瞬間を愛おしく、大事に感じる人間なんだろう自分は。変に真面目でどうしようもなくクズだから、世の中をそういうふうに楽しむことしかできない。皆がスタンダードな幸せに最短距離で進んでいくなか、自分はそのスタンダードな幸せにはたどり着けない。そんな気がしている。でもそれでいい。周囲の皆が進んでいった幸せを眺めながら、その足跡を見てああだこうだ言っているのが性に合っている。幸せになれないことに目を背け、幸せに”ならない”人間の皮を被ってマトモを皮肉って必死で後ろを振り向かせる努力を欠かさないような人間なのだ。

毎日色んなコトや話題に対して「なぜ?」が生まれて、3割くらい考えて自分なりの答えを見つけて勝手に納得する推論を立てて、それを獲物を捉えた猟犬よろしく見せびらかすこと。それが好きだし、楽しいが、何か自分を前進させるような推進力はない。皆より常に20m後ろを歩いている人生。何かを見せびらかすことはやめないようにするので、たまに振り返って獲物を見てやってほしい。こちらも見せ方はどうにか工夫できるようにはするので。

ハンバーグを作った。マルチタスクで人参のグラッセを作ったがひき肉をこねているうちにグラッセの煮汁の中の砂糖を焦がしてしまった。理科の授業でアルコールランプを用いて作ったベッコウ飴の匂いと同じ匂いがキッチンに漂った。少しげんなりしながらひき肉をこね続ける。グラッセの失敗を取り返したくて、ハンバーグの種にアレンジを加えることにした。隠し味としてマヨネーズを入れた。原材料は油に卵に塩分。ハンバーグの材料に合わない要素がないので良い結果になると踏んでの挑戦。結果は大成功。普段よりふんわりと出来た。プラスマイナスゼロ。オールオッケー。

初めて花を買って、そろそろ10日経過する。10日間も経っているのに全然枯れる気配のないキク。ただ茎を水につけているだけでここまで持つのは予想外だった。母が持ってきたバラは3日も持たなかったのに。やはりバラは花びら一枚一枚が重い分エネルギーをしこたま使うのだろう。それに比べたらキクは慎ましい花でありながらたくましい。バラよりもキクのような男になりたい。慎ましく、たくましく。

リモートで研修を受けていた新卒社員が、その態度が悪すぎて一日で辞めさせられた。みたいなわけのわからない記事を読んだ。案の定めちゃバズっていた。

 

president.jp

 

読んだ感想としては「人事偉そうなこと言っといて審査ガバガバじゃねえかよ!大丈夫か?」というものと「そんな社会舐めた学生にも内定はでるのだな」が一番だった。ネットの世論では、解雇を言い渡した企業の横暴さを言及する側の人間と、それに相反する新入社員側の非常識具合を言及する人間の二極になっていた。自分はどちらかというと後者側の視点であったが、まぁ今はそんなことはどうでもいい。

この記事に関する感想の中で「この記事は若者と採用する側の中年層の意見を対立させるような書き方をしてて良い。こう書かれると世間が勝手に対立構造を作って騒いで記事を読んでくれる」というものがあり、素直に関心した。

両方が両方、ツッコミどころのあるような書き方(あくまで中立的に)をなされていると勝手に読者がお気持ち多数決を行って、その題材として記事が伸びる。無意識に自分はその多数決の一員になっていたことを思い知らされた。意識高い系の愚痴も、こういったアプローチをかけられるとあっという間に自分の関心をそそるものに。脱帽。あとこれは自分が前から言ってる「一番最強なポジションは被害者、いかにダメージを受けずに傷を作り、いかに傷を生々しく見せるか。それがデキる人間が勝つ」といったものと少し関連付けられるかもしれない。時間ができたらまた考えて勝手に納得する推論を立ててみよう。