いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

大雨は無気力の理解者 2020/05/16

時間が溶けた。その一言でしかない。11時に起きて、Twitterを眺めた。8時間前の眠れずに困っていた自分に対しての労いの言葉を8時間ぶりに確認する。もともと睡眠は生物の活動のサイクルの中に組み込まれてる義務的なもので、マトモに生物をしていたら必ずしやその行動に行き着くルーティーンのようなもののはずなのに、それが自然にできないとなると自分は人間以前に生物として問題のある生活を送っているのではないか、とそういう根本の部分から不安になってしまう。

寝起きのまま、つけっぱなしの常夜灯のぼんやりとした光を眺める。外からはザァザァと雨の音がする。雨の日のあの様々な音を吸ってくれるような耳に曇ったノイズがかかるあの感覚。雨が降っていると何もしていないことを空間が認めてくれているような感じがして、その雰囲気に甘えてしまった。1時迄雨音をBGMに常夜灯とスマホの画面を交互に眺めた。

 

ずっとぼーっとしててもいいのではないか、そう考えていたのだが空腹がそれを許さなかった。なにかとびきりジャンクなものが食べたい。そんな気分だったので、台所からジャンクを探した。一番それっぽいもので、チャルメラのインスタント醤油味だった。ジャンクにはジャンクだが、方向性が違うしイマイチジャンク度も弱くどうもそそられなかった。諦めてコンビニでも行こうか矢先に、運良く冷蔵庫に明太子を見つけた。これとマヨとめんつゆを混ぜてソースを作り、バターとパスタで混ぜ合わせた。包丁を一度も使わずに調理を済ませた、いつも以上に得した気分。マヨの過剰摂取でジャンク度も申し分ない。ひとまず満足。

企画職の課題に取り組む。昨日の面接終わりの少しハイな状態で考えついたものをワードに落とし込んだ。自分の中ではキラキラ輝いていた企画が、ワードの備え付けの無個性な明朝体のフォントに落とし込まれていく過程でどんどんとその輝きが失せていくような錯覚。夢を見たまま提出までたどり着きたかった。これから練ってもこの雨の中でもっと輝くものが生まれることはないと思うので妥協。自動返信の課題受け取りメールにすら後ろめたさを感じた。

多肉植物に水をやった。成長するにつれて花が咲くような種類のものではないので特に外見的な変化は訪れることがないが、水をやって少ししてから葉の先を尖った部分を触ってみると、水をやる前よりも少し尖りが強くなっているような感じがして、その尖りに多肉植物の聞こえない声が感じられて悪い気はしない。目安としては、わずかに見える土の部分が乾いていたら少しずつ水をやるようにはしている。鉢を植え替えてみたらもっと大きく育つのだろうか。

課題をひとつ早い時間に片付けたこともあり、今日はこういう日で良いのではないかと自分を許せた。今日はずっと何もしない。ミステリアスな雰囲気で展開されていたはずなのに、シーズンが変わったらオカルティックな方向に話が突き進んでいる海外ドラマを見ながら、手持ち無沙汰で始めたソシャゲのスタミナを消費する。典型的な趣味がない人間の土曜日という形でよかった。普段うるさいラインも静かで、皆が皆一様に何もしていない、そんな一日を送っていたのだろうと思えて勝手に安心もできた。

積ん読の位置を変えたい。枕に頭を預けて、そのまま上を向くと、常夜灯の光の他に高い位置の本棚に置いてある衝動買いで買い直したハチミツとクローバーが目に入ってくる。ドラマも一周してるし、満喫とかで2回くらい読んでいるのだがやはり手元に置いておきたいと思い購入したが、購入しただけで満足してしまっている現状だ。

そんな、自分の怠惰の現れのような存在が、ここ以上にリラックスする場所が思いつかないような布団に入ってる瞬間に目に入ってくるたびにモヤモヤと何かをハチクロの単行本たちに訴えかけられているような気分になる。ここ二週間くらいのモヤモヤの原因はハチクロにあったのかもしれない。こう書いているうちにいても経ってもいられなくなり、やっと今動かせた。訂正。積ん読の位置を変えた。