いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

これから何回振り返る 2020/06/10

10日ぶりの靴下は熱が足にこもる。1ヶ月ぶりのネクタイはうまく巻けた。小説一冊買うのにも都内の本屋を利用していたくらいには都会に憧れというか、強く固執していた自分が都心と逆方向の電車に乗って面接を受ける日がくるなんて思ってもみなかった。だが、実際そうなってしまった。

ジリジリとした暑さの中、生地のしっかりとしたスーツを着て歩くといつも以上にアスファルトの照り返しを感じられる。築何年も経ってないような新築の本社ビルの入り口を探しながら、自分の緊張と比例するように湧き出してくる汗を拭いて歩いた。

予定の20分前に到着。担当人事から早すぎる!とリアクションをされたがメールには15分前には来い。と言われたのでその通りにきたらこのリアクション。いつだって行間を読むのは難しい。面接の結果は散々だった。日記をこのブログ媒体で書くようになってから、たくさんの面接をこなしてきたが、何一つ自分で満足した面接をできたことがなかったことに気がつく。考えていることがうまく話せても相手にはイマイチ印象悪かったり、そもそも志望度が高くないのを見透かされたり。だけど今回は過去イチでひどかったと思う。面接中に面接官に半分呆れられながら面接をするのはこれで最後にしたい。オトナ帝国のラスボスみたいな髪型しやがって。まぁ10割自分の準備不足なのだろうけど、あそこまで面接のペース丸投げされたのは初めてだった。

思った以上にボコボコにされてしまったので、帰りにラーメンでも食べて帰ってやろうと考えていたが、食欲もしっかり消え失せてしまい帰宅。家についてスーツを脱いでからやっと気を緩めることができた。みすぼらしさを噛み締めたかったので、家に備蓄してあった一番チープなわかめラーメンのカップ麺を作って、PCを見ながら作業机で食べた。

苦手な教授の講義。理由としては、こちら側に求めるものは各教授の中で一番多いのに、得られるものが各教授の中で一番質が悪い点。要するにリターンの度合いが少なすぎるのだ。

課題の提出方法もフォーマットを細かく指定するわりにはその元になるものを提示してくれないし、その提示の方法も、口頭で何回も細かく細かく5分くらい繰り返す程度。煩わしさしか感じられない。そして講義の内容といったらいつから使っているのかわからないような印刷に印刷を重ねた解像度の低い資料と、その原本のパワーポイントのみ。こちらに手間を要求するのなら、資料を手直しする手間を省かないでほしい。そして参考文献にあげるものはすべて自分の著書。質問をしても大体が「私の論文に詳しく書いてあります」で締められる。こんな教授に将来の一部分を握られていると思うと悔しくてしょうがなかった。

昨日少し触れた渡部さんのスキャンダルが思った以上にひどかった。不倫で確定らしい。週刊誌の見出しと、その抜粋の文章しか読んでいないような自分のTLにも、たくさんの不倫に関する感想文が挙がっていて退屈しなかった。

退屈しなかった、と思えたのはほんの少しの時間だけであった。流石に騒ぎすぎではないだろうか。いくら芸能人がキャラクタービジネスであったとしてもここまでボコボコにされることあるのだろうか、と引くくらいにはタコ殴りにされていて、薄気味悪さすら感じられた。

近い時期に東出くんが起こした不倫騒動もあったけれど、あれは相手方の女性がものすごく匂わせたりと挑戦的な態度であったため、世間の怒りのターゲットが二分割されていたからまだ見れた。だが、今回は完全に渡部さんが世間の正論や、正論じみた暴力や、八つ当たりなんかを全部引き受けていて見るに耐えなかった。

結婚に夢や希望を感じられない自分からしたら、両者とも一体どうしてリスクを背負ってまで社会的な契約で自分の身を縛ってしまったのだろう。と疑問に思ってしまう。自分の下半身が結婚してから暴走するようになるわけではないのだし、ちゃんと自分の中で折り合いをつけて気になる異性とは適当な肉体関係だけ保って、どんなに派手に遊んでバラされても、噂が立つ程度で済むくらいの立ちふるまいで生きていけばよかったのではないか。まぁ日本における恋愛結婚の歴史自体浅いものであるからしょうがないのかな。

エントリーしていた行きたい企業の殆どから祈られた。一ヶ月前くらいに「面接をブッチしてプロントでビールを飲みたい」なんて言ってた頃が懐かしい。と同時に浅ましい。もっと本腰を入れて取り組んでおくべきだった。いや本腰を入れてもこの現状が変わる保証はないけれど、後から思い出して後悔してしまうような反省点が少ない人生のほうがこの先何回も振り返らずに、後悔せずに歩いていけるし。これから何回通ってきた道を振り返るのだろう。

今抱えてるタスクに全力で取り組むためには、やっぱり物事を全力で取り組んできた!という経験そのものが必要になってくるのだと思う。

その結果がどうであれ、全力を出し切った。その体験こそが、次の全力を出し切るためのエネルギーそのものになっていく。偽りの全力は所詮偽り。エネルギーにしようとしても不完全燃焼で終わってしまう。その燃えカスをまた燃料として全力を振り絞ろうとしてもまた燃えカスが残り…この繰り返しで、どんどんくすぶっていくのだと思う。どこかで自分のエネルギー炉を大掃除する必要があるな。それが終わるまでは真に全力は発揮できない。それが終わるまでは何回も振り返るだろう。