いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

コイツいつも「スキ」について語るじゃん 2020/05/20

ちょっと男子〜、さのが「スキ」を語るハードルの高さについて喋るみたいだからちゃんと聞きなさいよー!はい。さっき思ったこと書きます。前のブログで

garbagebox.hatenablog.com

 

「好き」を語るのは表面上で取り繕うことができるが、「嫌い」を語るときにそれは難しいし、嫌いを語るときには語る側に少なからずのリスクが伴う。嫌いを発信するときのほうがカロリー使うし、本音でぶつかり合うには嫌いを語るほうがいいのかもね。

 

みたいなことをまとめた。今でもこの考えは変わっていないが、最近になって、「同調で発するスキ」も社会から抑圧されているように感じたので追記的な。

今、様々なコンテンツがどんどん手軽になっていて、趣味の領域がどんどん広がっているような気がして、世の中何かしらのマニアで溢れかえってしまうのではないか?と恐れ慄いているのだが、なかなかそうはならない。なぜか?昔っからそのコンテンツを住み着いている先住民の人が無意識に新規層に向けて槍を構えているからであると思う。正確には、入り口は開かれているが決して奥にはいれようとしない。というのが正しいかもしれないな。皆が関心を持ちやすいジャンル、例えば音楽とか、アニメとか、あとは映画か。そういうジャンルのものに精通している人風の空気を出す人たちがいる。だいたい身近に一人はそういう人いるだろう。一見自分の趣味を堂々と喋るので前に書いたような槍を構えた、いわゆる排他的な印象は受けないだろうが、そうではない。彼らが受け入れているのはジャンルの入り口の入り口、初歩の初歩だけ。彼らがそのジャンルにいかに精通しているか、その凄さがわかるくらいの領域にだけ足を踏み入れて欲しいだけなのだ。そういう排他的なジャンルの先住民が一生懸命自分の趣味を広報してる理由はそこにあるように思える。

その広報がきっかけで関心を持った新規が待つのは様々な「教典化」された宿題の数々。このジャンルを語るにはまずこれと、これと、これは通っておかなくちゃね。と言ってそのジャンルの興味関心のレールを作られる。そのレール以外の楽しみ方も無数に用意されているはずなのに、なぜかそのレールを通らないと先住民たちは槍をおろして同族と認められない部分が多い。時代が個人の趣味に寛容になっても、昔からそのジャンルのファンを名乗っている人の根っこは変わっていないのだ。「教典」の量でモノ言わせ、自分と同じ領域には踏み込ませない。そういうモノが発する「スキ」は抑圧された「スキ」でしかないので、本来の意味でジャンルへの愛を語るには「スキ」のハードルがかなり高くなっているのではないか。という話。

 

寝起きで面接受けた。人事の担当の方が大学生8年目みたいな女性からPTA副会長に変わっていて、気持ちの面で後ずさりしながら面接を受けたので手応えはない。その後90分おきに2社からお祈りメールをいただけた。こんな自分にも平等に祈りは与えられるのだ。アーメン。あと、もしこれを人事を担当してている方が読んでいたら、一つだけ気をつけて欲しいことがあるのでここに書いておく。祈るのはそちらの勝手だが、メールで祈るんだったらスマホの通知だけで祈られてるのがわかるような分量で祈りを伝えないでほしい。通知だけでテンションを下げられたくない。一度メールを開かせるテンポ、間を用意してくれ。就活生、本当にナイーブなので妊婦並みに丁寧に扱ってくれよなマジ。

ES,課題、コンテ、様々な書きものを放置して書くブログ。それに加えて毛嫌いしてたソシャゲ。ソシャゲ本当に良くないな、あれ無限にできる代わりに無限に時間削られる。後4日で消そう。4日後に消えるアプリ。書籍化してくれ。