いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

若さゆえの〇〇しか評価されない 2020/05/17

海外ドラマの辞めどころを知りたい。それがわからずに3時、いや4時まで起きてしまってまたも午前中を駄目にした。昨日とは打って変わっての晴天。この天候ならなにかと活動できる気がした。

様々なブログを読んだり、有名編集者のセクハラ騒動について考えた。ここ一年でも似たような事案がタレントの知名度問わずゴロゴロ溢れてるのに、こう問題になってしまうのはなぜなんだろう。やはりどんな業界を成り上がっていっても異性と向き合うための経験値は学生時から進化しないままなのだろうか。一般論で考えて、カースト上位ほどそういう場数を踏んでいるので、アウトセーフのギリギリのラインの駆け引きを楽しめるのだろう。逆にその上位に入れていなかった人が社会に出て、何かで秀でた結果を残し、自分の市場価値を上げたとしても対異性との駆け引きの経験値は凡人程度であるのでギリギリのラインを簡単に踏み外してしまうのだろうか。バランス感覚と他己評価。セクハラ問題は両者間の好感度の相違がキーである。

「フン、おもしれー女」のルーツが気になってしょうがない。今やあのワードを聞いただけでキザな金持ちモテ男子を想像できるくらいのミームを持っているが、本当に上記のセリフを一番初めに言い出したキャラはどこの誰なのだろう。知らなくても生きていけるけれど、知っておきたい。これは就活が終わり次第、国会図書館で少女漫画を読み漁って答えを見つけたい!と考えている。今の所の自分の予想は「誰も言っていない」であると思っている。実はどのキャラも似たようなことは言ってたけど、100%ジャストフィットしたこのワードは誰の口からも発せられていない、日本人の頭の中の「キザな御曹司のぼんやりとした外郭」が放ちそうな言葉なだけなのではないか。この曖昧な出どころを解決して、世の中に幾多も存在する”キザな御曹司キャラ”の名誉を守ることは俺にしかできない。

 

手書きESのコピーのためデータをUSBメモリに転送した。USBメモリの内部を就活解禁時にしっかり整理したはずなのだが、あっという間にESのフォーマットと応募書類で埋め尽くされてしまった。このESの分だけエントリーを重ね、このESの大多数の企業から相手にされていない自分。ここまで思い詰めかけて、考えるのをやめた。

最近就活の意味が自分なりに理解できた気がする。

一言でいうならそう、”アク取り”の作業なのだと思う。

大学はモラトリアムの延長である。そのモラトリアムをああでもないこうでもないと過ごし、大学卒業までに明確な自分を作ることに成功したのなら迷わずにその道に進めばいい。その明確な自分の概念はきっと何か社会に価値を与えることになるだろうし、その過程でしっかりそれに見合った報酬が与えられて、食いっぱぐれることはないだろう。

逆にそれを成し遂げられなかった人はどうするか?中途半端な自我、個性なんかが必要のない、企業企業にピッタリハマる部品に変換される選択肢を迫られる。飯の食えない個性は企業務めには邪魔になるし、部品に変換される過程で不必要なモノになる。その不必要なモノをいかに素早く捨て去り、カメレオンのように企業が求める部品に成り代わる素質を持つか。企業にはそれを見られているように感じる。

一見個性を死ぬほど語らされているように見えるようなESも、あれはいかに企業の色に個性を捻じ曲げられるかのテストなのだと思う。豚肉を煮込んでいるうちに出てくるアクだって、豚肉本来の味であることは確かなはずなのに、人間都合で捨てられてしまう。でもそうやって人間特製の澄んだ味の料理が完成する。それと同じようにいかに自分の中のアク、言い換えるならいらない個性、プライド、信念、希望。を取り除き、調理人にとって魅力の感じられる食材に成り上がるか。ポテンシャル採用に求められているポテンシャルはそういうベクトルのポテンシャルであると思える。

 

就活に心底心をやられているように見えるが、まだまだ根っこは元気である。ESも夏休みの宿題感覚で進めている。今日は1社書いたから、思い切りハメを外す!みたいな感じで上手く自分と就活のバランスは取れているように思える。今日はちゃんと一社片付け…ようとしたら進捗度80%あたりで痛恨の誤字。明日に回した。そんな日もあるよな。自分に甘く、他人に無関心なフリして最大限に厳しく生きてく。明日は絶対8時半に起きる。