いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

連休の終わる音はGmailの通知音 2020/05/07

すごく嫌な気分になる事柄があったけど、文字起こしするのも嫌だったので自分の中で風化するまでどっかに放っておくことにする。忘れる力は明日への活力を生み出す。

起きたら口元がヒリヒリする。鏡を見たらヘルペスができていた。潰れる寸前のニキビみたいな仕上がりになっていて目も当てられない。痛すぎたので母に相談したらすぐにそれ用の塗り薬を用意された。このヘルペスは遺伝性のものなのか。嫌な遺伝だ。角張ったエラも、手入れのしにくい癖毛も、そしてこのヘルペスも全部が全部受け継ぐ必要もないのに受け継いでしまった負の遺産なんだ。自分の新居にもこのヘルペス用の塗り薬が受け継がれていくのだろうと思うと今から気が重い。

ピリピリとしたヘルペスの痛みを感じていたら、どこからともなく連休が明けて一気に停滞していた就活が動き出す音がした。二次面接の案内のメールに、採用活動再開のメールに、オンライン説明会のURLの通知メール。連休の終わる音はGmailの通知音であった。こんなご時世でなかったら絶対に受けないような企業の説明会に参加した。もちろん画面越し。ルームに入室した瞬間に人事の女性が2人で仲良く映初めて触るzoomに困惑している様子が画面に映し出された。間違えて知らない大学生のインスタライブでも開いてしまったのではないかと思ったが、そんなことはなかった。ただの緩すぎる人事だった。業務内容にあまり触れない、キレイな部分を掻い摘んだ実りのない説明会であった。カメラで顔出しを求められないで本当に良かった。カメラ越しに中指を立ててしまうかもしれなかったから。

自分が不本意にエントリーした企業は3社あるが、今の所3社とも人事の段取りが悪い。URLが届いてなかったり、アンケートに不備があったり、どことなく爪が甘いところが目立つ。こういう部分で、自分は企業を見る目があるのではないかと根拠の薄い自信を抱ける。

Twitterを見てる、ずっと見てる。なんなら説明会を流しながらもTwitterを見ていた。最近はメンタリストのDaigoのインタビュー画像がお題の大喜利大会が流行っているっぽい。それが当人の元にも届いたらしく本人もその大喜利に参加して、界隈を盛り上げているようだった。その一連の騒動を見た知らないTwitterの人が「Daigoは自分の顔で大喜利大会やっている界隈にあえて自分が参加するという、その界隈の人間が一番やってほしくないことを意図的にやった。さすがメンタリストだ。」みたいなことを言っているのを見た。これに関してどうもモヤモヤした。

著名人の顔をネタにして盛り上がっている界隈と、そのネタにされた本人。どちらも双方に対して敵意などを示している様子もないのに勝手に対立構造を作って、勝ち負けをつけた独自のモノの解釈をドヤ顔で披露してる、その浅さに他人事ながら納得いかなかった。

今回の大喜利大会はDaigoが自分のユーモアを発揮してネタが盛り上がってる空気を壊さずにウィットに富んだ返しをした。それで解決しただけのことだ。本人に「自分が乗っかることで自分の写真で盛り上がってる界隈を黙らせよう」なんて魂胆はないはずなのに、物事を勝ち組と負け組で分けて考えることしかできない人にとっては、大喜利の参加者はどうにかしてDaigoの名誉を傷つけたい加害者に見えてしまっていて、Daigo本人はそれをどうにかして黙らせたくて頭を抱えている被害者に見えているのだろう。そのバイアスかかりまくりのフィルターで事象を見ると、今回の騒動は被害を受けた側が起点を効かせて困った事態をやり抜けた、なんともキレイな物語みたいに仕上がってしまうんだろう。どっかのスカッとジャパンの世界みたいに。

世の中の万物の事象を勝ちか、負けかの二択のみでしか考えられない人は、インターネットに集まりやすい傾向にあるのかもしれない。もう一つその事柄に関連する出来事をTwitterで見つけた。

ことの発端はこうだ。

「あるbotアカウントの運営者が以前と変わったのかもしれない。そしてユーザーを収益が出るサイトに集めて、利益が出るような仕組みをつくっているかもしれないね。」というブログ記事を、有名なライターが半月前くらいに執筆した。暫く経過してから、その記事を書いたライターのTwitterアカウントが、そのネタ元になったbotアカウントからブロックされた様子をスクショでツイートした。するとそのライターお抱えのファンの人達が「あの記事が正しかったからゆえのブロックなんだ」「答えじゃん」と自分たちがなにも関与していない案件の架空の勝利を喜び始めた。その様子を見たライターが「そのような意思表示のためにブロックされた旨をツイートしたわけではない」とツイートしたら今度はファンの態度が一転し「勝利宣言のように取れるツイートをしておいてそういうことを言われるのは誘導尋問のようで気に食わない」とライター本人に控訴している様子を見かけてしまった。

ただの受け手が、自分が何も関与していない案件の勝ち負けを勝手に定義して、その解釈を当事者から否定された瞬間に不機嫌になる様子は正直身勝手以外の何物でもないよな。と感じたが、世の中勝ち負け一辺倒教の信者からしたら自分の信仰に傷をつけられるような経験だったのだろう。少しだけ同情はするが、それ以上に、その凝り固まった思想がどこから生まれたのか、出どころを確かめたい気持ちが芽生えた。

そういう人らにとっては生きるということは常に勝負なのだろうな。満員電車はいかに自分が快適に過ごすためのスペースを確保できるかの戦い。会社はいかに同期よりも成果を出せるかの戦い。ランチはいかに他人よりも美味い飯をうまそうに食べるかの戦い結婚は住処は言い出したらキリはないだろう。もしかしたら鶏肉を調理する瞬間にも、鶏肉を調理し命を奪う側の立場として鶏肉に対して勝ち誇りながら調理をしているのかもしれない。なんとまぁ浅ましく、エネルギーを使う生き方なのだろうか。これだけ自由が許されている「人間」という種族を引き当てた身分として、自分はそんな連中の価値観に縛られず、種族に許された自由を堪能し尽くして、オンリーワンを見つけて磨く生活をしていきたいものだ。うんざり。