いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

健全なカレーと文章は健全な精神から生まれる 2020/05/02

 朝、起きたら父親からデイリーミッションがラインで届いていた。母親が誕生日だからカレーを作れ!とのこと。お!デイリーミッションはデイリーミッションでもイベント限定ミッションじゃん!少し気持ちが軽くなるけれど、それはおいといてあつ森。朝方に化石掘って区画整理を繰り替えす人間になっている。住宅街ができたら次のステップに進める気がする。進んでどうするのかは知らない。

カレーの材料調達、買い物へ。家にじゃがいもがあったのに見落としてスーパーでじゃがいもを買ってきたら、ひたすらにバカにされたので、お返しとばかりに家のジャガイモの発芽具合を追求したら、そんなのは屁理屈だ!ジャガイモの発芽具合とお前がアホなことに因果性はない!と言われてしまい、そこまで話を飛躍させるのか。と自分の親ながらかなり引いてしまった。

健全な料理は健やかな精神からでしか生み出せないと思う。開幕からひと悶着あったせいでいつもより玉ねぎを雑に切って、雑に炒めてしまった。火の通りが甘かったらしく、いつもだったらとろけてなくなってる玉ねぎが形を保ったままだった。いつもだったら丁寧にアクでもとってやって、丁寧に鍋の世話をしてやるところだったのだがそれも怠けてしまった。それどころかアク自体にさえ怒りを覚えてしまい、少しヤケ気味に鍋の奥に押し隠してしまった。ソースとケチャップを適量突っ込んで、人工のコクを作り出して、既製品のカレールーを溶かして完成。片手間で作った季節外れのゴーヤチャンプル丼で腹を満たす。

実家に絶対にあるであろう、炊きすぎた白米を冷凍保存しておいたやつを食べる機会がここ最近増えているのだけど、アレを食べた日は必ず腹を下していることに今日気がついた。冷凍庫が壊れているのか?どっちにしろ原因がわからないがしばらくあそこの白米は控えようと思った。

カロリー高めのエントリーシートに取り掛かろうとしたが、冷凍白米のせいで体力を奪われてしまった。5月なのに…と感じさせられるほどに過剰な暑さにやられながら、腹痛のピークがすぎるのを待った。

1時間半くらい耐えたらなんとか集中できるくらいには回復。不可抗力で他人よりも細く、長い学生生活を送ってきたためか、学生時代の実績とか、事柄とかはペンが止まることがなく埋められる。埋められはするのだけど、それをあちら側の人間がありがたがってくれるかは想像できない。自分が200くらいの価値を提供しているつもりなのに、あちら側には20くらいにしか見えていない事柄が多いように感じる。あちらの価値観が凝り固まっているのか、自分のこだわり、プライド、そういったたぐいのものをアウトプットするスキルが足りていないのか。多分後者。

はてなブログの公式が紹介してくれた、見知らぬ上智の学生のブログを読んだ。同い年であるはずなのに、使っている文章が同じ言語とは思えないくらいに堅実な文章だった。単語があるべき場所にあるべき形で配置されている。と言ったら面白くないな。自分が見たもの(客観)と(主観)の切り替えが自然であるし、起承転結がしっかり構成されている。自分のようにはい、書きましょう。はい。終わりましょう。で作られている文章とは形が違った。普段から目に入れているモノが違うのだろう。久しく小説を読まなくなって、その代わりにTwitterに入り浸るようになった。短文の集合体と話し言葉で書き連ねるこの文章の形は絶対にそこに影響されている部分があるなと、思い出すきっかけになった。

3ヶ月弱で辞めたwebメディアのインターンや、身内も身内の人間の優しい言葉で浮かれていた部分もあったが、完全に周囲を見ることをやめていた。あつ森で島を作るときにはあんなにも様々なものを見て比べて、自分のものにしようと頑張ったのに、文章になった瞬間にそれを辞めてしまっている自分がいた。なにかに取り組むときにその事柄が時間を食うものであった瞬間にためらってしまい、短絡的な娯楽に逃げるクセがついたのはいつからだったか。ネットの散文でもいい。長い文章に触れる時間を増やすことがこれからの自分のためになる事柄であろう。

その後京都に住んでる気難しそうな物書きのブログも読んだ。サイトのデザインが素人目にみても凝っていることもあって説得力があった。内容としては売れる型の文章が増えてきたがそれは面白くないというもの。言い得て妙だ。ビジネス本を薄く引き伸ばしたような、noteが読みたくてネットサーフィンをしているのか?そうではない。誰かに読まれていることを意識されつつも、そこに損得勘定のない、文章に書かれているモノがすべてで、それを本当に誰かに伝えたい、この文章に触れた人間になにか作用を起こしたい。そういう気持ちが練りこまれた文章を探しているはずなんだ。曖昧で申し訳ないけど。

自分は文章で食っていく人間になる予定もないし、なれるスキルもない。何も持っていない人間がなにを偉そうに…と感じるかもしれないが、今本来想定していなかった形で文章で食っている人間、SEOライティングとか横文字並べてGoogleの検索システムに向けてシッポを振り続けている人間たちには一言言いたくなった。本当に書きたい文章はそれなのか???

すこし熱くなりながら、匿名ダイアリーを読む。普段読んでいる文章よりも格段に雑だし、それについている反応も便所の落書きのようなものだけれども、文章に確かに人の体温が感じられるように思えた。あそこは全力で恨んでいるし、妬んでいるし、何かに訴えかけて振り向いてもらおうとしている。そこにカネの臭いは一切ない。

明日は墓参りの送迎をしないといけないらしい。両親は車の運転技術を磨けとしつこく言うが、いざ運転してみると細かいことでああでもないこうでもないと難癖をつけてくるのでたまったもんじゃない。途中で諸々嫌になったら電車で一人で帰れるように電車賃だけは用意しておこう。あとは読むモノの質をあげよう。自分から出てくる言葉のラインナップに自分で恥ずかしさを感じるようになってきた。「なんか」とか「本当に」とかそういう類の言葉を減らして、話し言葉も控えるようにしたいな。