いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

一ミリのハードル

「佐野さんには安心感がある」みたいなことを言われる機会が、実は結構あったりする。

安心感ってなんだろう?そもそも一緒にいて危険を感じる人間のほうが世の中少ないと思うし、第一最近髪の毛にパーマを当てだしてからはその少ない方の人種である「一緒にいると危険を感じる人間」の方に寄ってきてしまっているような気さえもする。

一緒にお酒を飲んでいるだけで知らないオラついたお兄ちゃんからおしぼりを投げられたりとか、結構ザラなのだ。

いや安心感どこ????

 

多分上記の安心感がどうこう言ってる人たちは口下手な自分と会話しないといけない状況になって、その場しのぎの脳みそ1ミクロン程度しか動かしてないような口から出まかせで言ってるんだろうけど、言われた側は割と真剣に考える。安心感…。

 

考えて考えて、自分の中で一個の結論が出た。

 

あ!これ!多分相手から下に見られてる!

 

 

結構歪曲させすぎでは?と思うだろうが、そんなことはない。当事者にしかわからないニュアンスも結構ある。

安心感〜〜〜云々の話しが出るくだり、多分自分ではない誰かだったら他にもっと褒め言葉が別に出てくるであろう場面で自分にはなにもないから「安心感」とかそういう安易でアバウトなもので濁してくるのであろう。

 「優しい」「モテそう」「一緒にいてラク」「気を使わない」「個性的」etc…。

世の中にはいろんな曖昧が溢れていて、その場を取り繕ってくれる。しかしもう溢れすぎていてそんな言葉たちでは取り繕えないくらいには「その言葉を言われる側」は言われ慣れていてしまっているのだ。

 

でも、一向にこういう言葉を連ねてくる連中が減らないのは原因があって。

そういう人たちは自分に自信がある事柄があるので、取り繕うワードを利用しなくても会話が成立するような個性がある。

そのためそんな「こちら側」の人間が飽き飽きしてる、取り繕いワードを使ってくる。彼らの中ではそれが言い尽くされた表現ではなくて、自分のような「何もない人間」に向けて絞り出したとっておきの言葉なのだから。

 

これもかなり歪曲した表現になるのだが、自分に上で説明したような取り繕いワードを使ってくる連中たちや自分に理解ができない方法で人生を謳歌している人たちを、総じて「マトモな顔族」と呼んでいる。

 

自分の容姿を一回でも見たことのある方には最早説明は不要なのであろうが、見たことのない方のために説明しておくと、この世のものとはほど醜いものだ。

 

何を考えているのかわからないような薄い目。

締りがなくただぼやぼやと顔全体のバランスをぶち壊すためだけに設置されている外人のコスプレの付け鼻の失敗作みたいな鼻。

昔から笑うことが苦手だった影響か、笑顔を作ろうとしても左半分の表情筋に障害はないはずなのに左半分の口元がうまく動かないせいで人を小馬鹿にしたような笑顔しか作れない口元。

首から上だけでもこれだけの汚点にまみれているのだが、首から下にもフォーカスを当てていくとこれは更にひどい。だがこれ以上書いていくと自律神経がかしくなりそうなので割愛。

マトモな顔族はヤマザキマリ先生の著作、「テルマエ・ロマエ」の中からのパクリなのだがこれほど自分の中でしっくりくる表現はない。

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テルマエ・ロマエ」の主人公の古代ローマ人であるルシウスが、ふとしたきっかけで現代の日本にタイムスリップしたときに、ローマ人の自分に比べてあまりに顔の凹凸が少ない日本人の顔を見て「平たい顔族」と称したように、顔の造形が崩れた状態がスタンダードな自分からしたら周囲の顔が整っている状態がイレギュラーであるのでやはり「マトモな顔族」というのがまとまりがつく。

「マトモな顔族」は見てくれがマトモであるため、そうでない人に比べると圧倒的に自分に自信がある。しっかり相手の目を見て話せるし、自分が学生時代に何をしてきたかもスラスラと喋れるし、自分の趣味にだって正直だ。なにかの漫画のワンシーンのように「なにが嫌いかよりも何が好きかで自分を語れる」のだ。

それは素晴らしいことであるのだが、ここからがマトモな顔族の恐ろしいところで、それが万人に普通にできることであると誤解しているのだ。

 

彼らは基本的に自分に対して自信を持っている状態がデフォルトであると思っているため、自分に自信がなさそうな立ち振舞いをしている人をみると誰も頼んでいないのに叱咤してくる。自己評価が低すぎる、とかもっと自分に自信を持とうとか。

多分、少年漫画を過剰摂取しているのだろう。四代目火影とかがさらっと言い放ちそうなことを平気で言ってのける。本当にすごいよなぁって思うし、それと同時に本当に余計なお世話だなぁって思う。

自分の目が半開きの写真とか、不意打ちで取られた写真とかを身内のトークでスタンプ感覚で使用された経験がないのだろう。

13歳という若さで他クラスの同年代の女子5人くらいが教室の入り口に押しかけてきて「めちゃくちゃ有吉に似てる!!」とか騒がれた経験もないのだろう。そんな経験をしてきても同じようなことが言えるのだろうか???

 

アンガールズが「キモかわいい」でブレイクしたときも、アンガールズのことを人間ではないなにか、一種のキャラクター。今でいうとゆるキャラのように扱っていたからあのようなワードと扱いで露出を増やしてきた。

その影響からかブスを売りにしていないブス、自分のようにただ平穏に生活しているだけのブスにもそのような扱いを強要してくる世界ができつつある。本当に生きづらい。

こうして、自分らブスはマトモな顔族の生活の中で一種のキャラクターとしての役割を与えられた。マトモな顔族に自らのブスを気遣わせることでその対象に「容姿を気にせずにブスとも平等に関わってあげている僕たち私達」を演じさせてあげたり、一緒に写真に写ってあげてマトモな顔族の60点の顔を80点に魅せる手助けをするような、現代版ピエロという役柄だ。

 

ここまで長々と書き連ねてきたが、自分の言いたいことはただ一つ。

 

「ブスの地位は低い」

 

これに尽きる。これをおおっぴらに話すと世間はマトモな顔族よりも圧倒的にブスのほうが絶対数が多いので間違いなくバッシングを食らう。

だから公にならないだけであるが確実な事実としてブスの地位は低いのだ。出世のチャンスも少ないのだ。

中国でたまたま撮影されたイケメンすぎるホームレスも、顔が整ってなかったらタダの乞食のまま一生を終えたはずなのに、顔が整っていただけで生活を無事取り戻せていたし。

今年のコミケのコスプレブースで局部をカメコに接写させて炎上したブスも、ブスでなければ養護された可能性も大いにあったであろうし、なんなら金銭が発生していたはずだ。ブスはゼロスタートではなくマイナススタートなのだ。

 

そんなマイナススタートのブスは、大多数はそのマイナスに目をつぶりながら生きていく。ごくわずかのブスは自分のブスを切り売りしてお金を生む。そのごくわずかになるにはマトモな顔族に比べて尋常ではない努力とメンタルと必要とする。

自分はどちらになるのだろう。

大多数のマイナスを背負ったまんまの人生をこのまま続けていくのも嫌だし、自分のブスをコンテンツにできるほど人間はできていない。

ブスなんていうものは生まれた瞬間から億単位の借金を背負わされるようなものだ。それを抱えたまま自分はこの先の余生を生きていきたいとは思えない。

だったらさっさと死ぬのが手っ取り早いのだがまだそういうわけにもいかない。

 

 

 

結論として、自分はどうにかしてブスをやめることにした。

 

 

早い話。昨日、目元を整形した。

 

埋没式の手術で一重を二重に変えてみた。

 

 

 

3000文字くらいブスについて書き連ねたが、自分としては目元を直せば自分のブスが完結するとは毛ほども思っていなくて。

マトモな顔族がいうような、「自分への自信」が欲しかったのだ。

自分の顔や一部分を好きになったことがないので、自分の顔の中で嫌いではない場所を作りたかった。そこから始まるなにかがなにかしらはあるだろうと思っている。

そのきっかけとして、たまたま一番必要金額が低かったのが目元であっただけできっと鼻が一番安かったら鼻にしていただろうし、多分場所はどこでもよかった。

自分への自信を得るために「自分の顔にお金がかかっている」という事実が必要だった。

今までも何回もメンタルがどん底にまで落っこちるときはあって、そのたびに整形は考えたが時間もお金も余裕がなくて、思いとどまってばかりだったがたまたま両方とも余裕があった今、ついに実行できた!

 

病院は本当にどこでも良かった。早く目元に糸が入ってほしい一心で、検索エンジンのトップに出てきたところに予約をとって、カウンセリングに向かった。電話からカウンセリングまで確か10時間くらいだったと思う。

 

初めて足を運んだ美容外科。脱毛から若返り術まで多種多様に手がけているようで、かなり客層にばらつきがあった。男性は少ないのかな…と思っていたが、同じエレベーターに乗って共に病院に入った男性もいて予想よりは男性もいた。男女比でいうと3:7くらい。

電話のあとにwebで問診票を書いていたため、他にやることはなく、ただただカウンセリングだけを20分くらい待っていた。

携帯で時間を潰していてもやはりソワソワは止まらない。知り合いにあったらどうしよう、脱毛することにしようかな…とか、すれ違う他の患者さんの目元とかを見て、あれも作り物なのかなとか。

年齢層が自分と同じ位の女性患者を視界に入って来るたびに自分だけじゃない、自分だけじゃない。とひたすら正当化していた。

 

番号札217番が呼ばれた、自分の番号だ。

郵便局みたいなシステムで管理された患者たち。自分を呼ぶカウンセラーさんについていくと2畳ほどのソファーがおかれた個室に通された。

嫌に丁寧に自己紹介されたあと、希望の施術の確認をされて、施術の内容とそのリスクのようなものを一通りレクチャーされた。

「どんな二重がいいとかありますか?」との質問に、本当に何も考えていなかったので詰まってしまい、「自然なもので…」と答えておいた。

前にも述べたように顔に金額をかける。という実績がほしい。くらいしか考えていなかったので、二重の自分なんか一ミリも想像できていなかった。

また、自分の希望した施術はリーズナブルだが持ちは普通の二重術と比較すると悪く、三年程度しか持たないものらしい。それでも大丈夫かどうか、術後一週間は目元不自然に腫れるけど 大丈夫?とのことだったが、二つ返事でOKした。

実績重視の思考もそうだし、このときにどうせ周りにバレるのならブログにしてしまおう。と完全に整形に対して前向きになれた。

 

カウンセラーさんがそれとなく進めてくる術後のケア商品の営業を避けつつ、次は担当医さんとの面談に。びっくりするくらいイケメンの関西人が現れて、甘いマスクでニコニコされながら自分の目元をほっそい銀の棒でいじってくる。

銀の棒が目元をなぞるたびに見せかけの二重まぶたが登場してはどっかにいって、登場してはどっかにいく。

「開いて〜」「閉じて〜」の声に合わせて手鏡を見ながら自分の二重幅を調整してもらう。二重幅のことを担当医さんは『デザイン』と呼ぶ。この瞬間が自分が「整形手術」を行うのか…と我に帰らされる。なるべくナチュラルにナチュラルに…とお願いしていたらあっという間に面談も終わり。

手術いつにしますか?と聞かれたので、「なる早で。」で一言伝えたらカウンセリングの次の日、時間でいうと20時間後にはもう自分は手術台に乗っている算段になっていた。

本当なら20時間後の自分は免許センターに行く予定で、鴻巣のど田舎で○×クイズに勤しんでいたはずなのだが、それは一年以内ならいつでもできる。二重整形なんか相当気分がノッてないと後ずさりしてしまう。

 

そこからの20時間は、なんだか何をしてもノスタルジーに感じられた。一重最後のホッピー。一重最後の焼肉…。焼肉の相手(野郎3人)に唐突に整形をカミングアウトしたらひとしきり盛り上がった。

病院の帰りにそのまま飲みにきたので、持参していた同意書の控えと一重の自分と一緒に記念撮影をして、そのまま朝まで飲んで、病院に行く時間ギリギリまで眠った。

 

そして迎えた、人生二回目の整形外科。一回足を踏み入れてしまえばそう緊張するものではない。

受付で昨日作ってもらいたての会員証を掲示して、待合室へ。

昨日より少ない待ち時間で処置室に通される。目元をきれいに洗って、目薬と痛み止めの説明を受けて担当医さんを待つ。

 

いざ手術台に通されると、いままで見ないようにしてきた「痛み」が具現化されているような空間で自然と緊張する。

BGMもなにもない空間で看護師さんがメンタルを気にかけて緊張を和らげようと話しかけてくるのすら、精神的な麻酔をかけられているように感じてくる。

病院の中でコアタイムだったようで、担当医の到着まで少し時間がかかった。その間に、頭の中をたくさんの同意書や契約書の内容がよぎる。同時に両親の顔も。絶対反対されること間違いなしであったので、なにも報告せずにここまで来てしまった。家に帰ったらなんて言われるのだろう。それ相応に怒られることはしてる自覚はあるのでなんでも良いのだが、怒りに任せて目元を殴られたらどうしよう。とか。

 

そこから担当医が来てからはあっという間だった。

『デザイン』の最終確認をされて、左右の二重になる予定のラインにペンで目印をつける。このラインが数十分後には…と考えると余計に力がはいる。

その後手術台に寝てくださいね〜と言われたと思ったらスムーズに患部になるところ以外をガーゼかなにかで隠されて、鼻穴に吸入器を刺された。ここから笑気麻酔が噴出されるらしい。コーーーーっと音がなりながら麻酔が身体に入れられていく。

なんとも言えないがなんとなくふわふわとした感触になってきたかな〜あたりで目元に局所麻酔が。こちらは注射なので少しチクッとしたがそんなに痛くはない。なんとなく目元が熱い…くらいの状況になったところにいよいよ糸が入ってくる。

医者がまぶたを縫い合わせるためにしきりに引っ張ってくる。まぶたがめくれた先にある自分の眼球は担当医さんの手術中の必死な顔があった。

自分の行った施術は2点止めと呼ばれるもので、二重を2箇所で固定するものだったので山場は一回の施術で4回。一回目のまぶたをめくられ、針が刺さった瞬間に意味がわからないくらいの痛みが目元を襲った。

生まれてこの方視力は両目とも1.5。一生をずっと裸眼で過ごしてきた。目の中に入れたものと言ったら眠気覚ましの目薬くらい。そんな温室育ちの目元が針を刺されて、糸で引っ張られている。

目をつぶろうとしても医者につままれているからそんなことできない。どうにかして手術の様子を見ないように、看護師さんの「下を向いてください」の声に従って眼球だけを下に向け続けた。

痛みで気がおかしくなりそうになりつつ、頼れるものは笑気麻酔しかないこの状況。ただただ身体に麻酔を入れる。このことだけを考えて必死で深呼吸をした。寝ている状態で肩まで揺らして深呼吸をして体中が熱くなりながら、だんだんと身体のふわふわが強いものになっていく。

 

 

そのとき、目からなにか液体がジワっとこみ上げてくるものがあった。

 

針を刺した箇所からの出血なのか、目が異物を確認して洗浄しようとしてるのか、今見に耐えきれなくなって出てきた涙なのかそれはわからないが、何かがこみ上げてきた。

 

担当医さんの指示で、看護師さんが絶えず「それ」を拭いていたが、自分には「それ」が体の中に蓄積されていた「ブス」が形を変えて体内からにじみ出てくるように感じた。

22年間目元の裏に蓄積されていた「ブス」の成分が涙だか出血だか、なにかは分からないが形を変えて今この瞬間に担当医さんの処置によって押し出されている。

 

あれは確かに逃げ場のなくした「ブス」だったのだ。

 

「ブス」が両目から溢れてから患部を少し冷やして、差し出された手鏡には今までなかった目元の二重がデン。と構えていた。

思ったよりも不自然だが、腫れているからであろう。完成は2週間後だから、今はこれで。お疲れ様でした!と明るく処置室から送迎されて、人生初めての整形手術は終わった。

 

術後の感想は?と聞かれたら、今がちょうど術後24時間程度なのだが、二重線のところにやっぱり糸で引っ張られている感触は感じるので自然な感じとはまだ言えない。

目元に一重のときに比べて1.2倍くらい力を使っている感じもする。

しかしこれもあと一週間の辛抱だそうだ。鏡を見るたびにまだ目元にばかり視線がいく。

それと同時にオンラインで流れてくる整形が噂されてるタレントさんのことを見直した。

今までもそんなに見下していたわけではなかったが、ちょっと高い化粧をしたみたいな?タトゥーを入れた感覚くらいにしか思っていなかったがそんなもんではない。自分なんかがやったのは糸と針だけしか使ってない、後戻りもしようと思えばできる手術だったがメスを使用したり、または骨格を削ったりするような手術を施している方々の根性を直に感じて、感動し、崇拝までしそうなくらいに見直した。

 

家族には手術後6時間くらいのときにバレた。

最初はめっちゃ騒がれた、のと同時にどう言葉をかけていいのか悩んでいたのがこっちにも伝わってきた。そりゃあどんな本にも子供が整形してきたときの声かけの正解例なんて掲載されてないだろうし。めったに味わえない体験を提供してしまった。

悩みに悩んで、母親(ブス)は「結論として、それでお前が納得するならいいよ。」と寛容な姿勢をみせてくれたが父親(マトモな顔族)は「そんなことしてる場合か?学生の分際で」とお気に召さないようだった。それに続いて「整形する暇あったら勉強しろ、世の中顔じゃない!」とまくしたててきたのでそれは絶対に違う!と口論になったが自分の一重の遺伝子の根源である母親が仲裁に入ってくれたこともあり、3分程度で収まった。

やはり母親にも息子がこんな顔で生まれてきてしまったことに関して罪悪感はあったのだろうな。とひしひしと感じられ、8ミクロンくらい心が痛んだ。

 

 

今、自分の顔面には29800円、目元には片方あたり14900円の二重幅が存在する。

この事実が自分の「ブス」を克服して、マトモな顔族への仲間入り…とはいかないがマトモな顔族へ歩み寄るための第一歩になると信じている。

マトモな顔族が自分に植え付けたトラウマと戦っていくために、この両目の29800円は頼りになる装備になるはずだ。これからもずっと、顔面至上社会に屈することなく、見えないゴールに向かって…。

 

to be continued…