いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

好きそうで好きじゃない少し好きな地元

しばらくノートパソコンをプライムビデオ映写機としてしか使用していない状況で三週間。

今どうしてる?とかすっごい聞かれるのだけど察しの通りなんにもしてない。

どのくらい何もしていないかというと、iPhone内に内蔵されている歩数計があるのだがそれの数値が26歩を記録する日が出てくるくらいなんにもしていない。

世の中はお盆休みとかなんとかで、サービス業以外は浮足立っていて地に足ついていない方々ばっかりで、アルバイトの身分とはいえ一応サービス業を行っている自分にはどうも肩身の狭い日々を粛々と過ごしている。肩身が狭すぎて外に出る気にもならず、ひたすらに駅徒歩20分のさいたま市郊外の自宅で寝潰れていた。

 

さてさて、そんなお盆休みの終盤。

やることはあるけどそれには背を向けひたすらにプライムビデオと対面していたら日が暮れてしまい、何もしていないのに気だるい身体をリフレッシュさせるために中学校の完全下校時刻よりも早い時間帯から浴槽に浸かる。

 

真夏日真っ盛りの今日このごろ。浴槽のお湯の温度は若干ぬるめに設定してあるため、かなり快適にぼーっとできる。自分は浴槽に浸かる際には携帯など、暇つぶしの道具はなにも持ち込まない人間なのでこの時間は無心でお湯の温度に身を委ねるのみ。

 

そうやって無心の状態になっていると、決まって自分は昔のことを思い出す。

昔、といっても20数年程度しか生きていない自分の振り返りなんてたかがしれているのだが、自分にとってのなにかしらどこかしらで必要なパーツになっているであろう記憶が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返してはじわじわと汗をかいていく。

自分みたいな薄っぺらい、上澄みだけ整えようとしても整いきらない、出来損ないの湯葉のような人間が何をどう懐古しているかなんて欠片も興味はないかもしれないが時間を持て余してリラックスしているときに定期的に考えることいったらだいたい2つ。時間つぶしに最適なこの2つの議題。

 

・自分の結婚式に30人友人を呼べるとしたら誰を呼ぶ?

 

・自分を主人公にした映画の構成

 

この2つである。みなさんも暇で暇でしょうもなくなったら想像してみたらいい。意外と楽しい。

 

1個目の項目には特に説明はいらないだろう。

まったくもってそのままの意味で、高校2年生のときから年に一回ペースでシュミレーションしている。もちろん結婚する予定なんか欠片もない。

人生で一回きりの自分が主催の自分が一番の主役のイベント。人生の中で一二を争う幸福の絶頂を誰に見せびらかすか。マイペースなアイツとアイツはコミュニティこそ違うだろうが絶対意気投合するのだろうな。とか、友人からの手紙はアイツに書かせよう。とか。完全な夢物語なのだがだいたいクロージングは現状だと呼んで来てくれそうな女の子の知り合いが皆無なので、次のコミュニティで頑張らきゃ格好つかなよなぁ、、、。とかそういう結論で終わる。

 

2個目の項目はけっこう頻繁に考えている。前見た横道世之介の影響かも。

 

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前にも書いたとおり20何年かしか生きていないような奴なので、起承転結の”結”は前向きにto be continued…で大体変わることはないのだが、残りの”起””承””転”はスポットライトの当て方次第でも出来損ないの湯葉でもいろんな見方ができる。

下手くそなりに風通しの悪いテニスコートでかれこれ9年間も試行錯誤してゴムボールをラケットでひっぱたき続けたことにフォーカスを当てれば就活向けのルーキーズよろしくな、諦めないことが大事!みたいなテーマのスポ根映画テイストにもなるし、異性関係のエピソードなんか自慢にもならないようなネタまみれなので、中高生をターゲットにしたアフロ田中のような爆笑必至のラブコメなんかもちょちょいのちょいだ。

ちょっとマニアックなところを突いてみれば、「牛乳」をテーマにしたエピソードだけをまとめた40分程度の短編映画だって作れる。

幼い頃から「牛乳」が飲めない自分と、義務教育の9年間の奮闘記。義務教育のスタートの給食から、おせっかいな隣の席の女子の押し売りにより無理やり牛乳を飲まされて戻してしまうという最悪の駆け出しでスタートした学生生活。そこからさらに牛乳嫌いが悪化して自分からは牛乳を避けていく生活を過ごすのだが、「牛乳」は自分を逃さなかった…みたいな具合に。

実際このあと「牛乳」がきっかけで好きな子に「顔も見たくない」とか言われたり、引き出しの中の教科書がヒタヒタになったりする。ああ本当に牛乳嫌い。

 

みたいな具合で自分の失態まみれの人生をどうにかして面白おかしく消化できるか考えているうちにいい具合に時間が潰れていくのだ。

今回もなんとなくそうやって過去の自分のアラ探しをしようとして、小学校時代まで記憶を遡ろうとしたときに、ふと思い出した。

 

 

通学路だったところの交差点、左折ができなくなっていたな…。

 

 

さいたま市内のベットタウンの小学校。学校までの距離15分程度の通学路。チェーンのパスタ屋の向かいの国道沿いの交差点。危険な運転が増えてきたのか知らないがガードレールで塞がれた道。それがなんとなく頭をよぎったのだ。

中学を卒業してからは私立の高校へ進学し、バカの一つ覚えのように部活動に勤しんだおかげもあり家と学校とテニスコートの往復の日々。以前まで生活の拠点であった地元の町並みはタダの最寄り駅までの通り道でしかなかった。バカでかいトチノキがトレードマークの小学校を卒業してから10年。

富士急ハイランドのジェットコースターの身長制限に引っかかってしまっていた身長も今ではフリーパスで通過できるようになったし、必要のない部分に毛も生え揃ってきた。1万円が大金と感じなくなってきたし、大人になったらわかるよ。と濁されてきたことも自然と理解できるようになってきた。

 

今まで自分のことだけで精一杯だったが、自分とともに地元の風景もあの頃とはずいぶん変化していた。気に留めていなかっただけだったが改めて見ると10年ってすごい年月だ。

駅前の誰に需要があるのかわからなかったサンリオのグッズショップは学習塾になり、すっぽん料理店は胡散臭い中国料理店になった。

駅チカのファミマは移転して駅前のファミマになって、さらには新店舗ができて駅前のファミマ×2になった。

昔バイトしていたケンタッキーはデリバリーサービスを廃止して、時間限定で食べ放題を始めた。

雑草まみれの台地は整えられて住宅街になって、母校の後輩になるわんぱく坊主たちが住み着いた。

なんとなく気になってた子と「あそこが潰れてミスドができればいいのに。」とか話していたパチンコ屋は今も現役で君臨している。そして月イチくらいで足を運ぶようになっている。ミスドの進出の夢を語り合っていたその子はこの街を出て、もっとミスドから遠のいた場所に向かっていった。

 

なんだかこう書き連ねるとかなりセンチメンタルなものになってしまったが、実家暮らしという特性からか、自分の子供時代を過ごした場所に関して鈍感になってる自分が悲しかった。自分を作ってきた地元、しょうもない地元。カラオケフリータイム平日700円の地元。スタバがない地元。父親が夏祭りで焼きそばを焼いている地元。もう少し大事に考えて向き合ってあげればよかったなぁ。バビロン。