タバコを吸いたい
表題の通りだ。タバコを吸いたい。
ただ、これからも絶対と言っていいほど吸うことはないだろう。
自分は煙を肺に入れることがどうしてかはわからないができない。少しでも煙を入れようものなら二時間は喉がやられる。
でも、自分の周囲のセンスのあると感じられる人たちや感度の高い人らは、あんな毒素そのものをなんの気なしに、ぷっぷかぷっぷか顔色も変えずに口元へ運んでいる。
広告などで掲載されてるタバコを吸い続けた人の真っ黒な肺とかを目の当たりにしても、なんか落ち着くんだよねえとか言ってぷっぷかぷっぷかしてるの見ると本当にこの人ら正気なのかなって思う。多分白米を光化学スモッグをオカズにしてモリモリ掻き込んで育ったんじゃないだろうか。
20歳の誕生日にサークルの喫煙者の先輩が誕生日を祝ってくれて、お酒の勢いもあって結構ノリノリでさあ喫煙者になったるぞと意気込んで深夜のカラオケボックスで8mmのメビウスか何かを口に運んだけど、やっぱし無理で、すっごいむせ返ってしまったときの動画をサークルのラインに掲載されたときに、どこぞのお嬢様大学のお嬢様がえらく憤り、Twitterの裏アカウントでつらつらとその行為を糾弾してサークルを去っていったりもしてた。
なんだか自分とタバコはどうも相性が悪いみたいで。まさかメビウスも肺は壊しても人間関係までは壊すことになるとは思ってもなかっただろう。
しかし、自分はタバコを吸いたいのだ。
理由は先程もちょろっと述べたのだが、概要は「カッコいいと思う人が吸ってるから」だ。うーん自分で言うのもなんだけどかなりありがち。もちろんタバコ=カッコいいではないし、喫煙者=カッコいいでもない。でも艶やかな男性が口から煙を吐いてリラックスしてる様子はなかなかどうして色っぽい。
これは窪塚洋介さん。言ってることはただのヤニ中毒なのにこの艶やかさ。
そもそも、なんとなくなんとなく暮らしていて、非喫煙者である自分がいろんな状況で感じる手持ち無沙汰な状況をなにかで埋めようと思ったとき。その瞬間に一番適しているのがおそらく喫煙なのだろう。
大人数での宴会、沢山の人と関わるのは好きだし、くだらない話を交えながらの飲酒は普段よりもさらに楽しい。飲みニケーション万歳。だが人間そう何十分も連続して会話するようにできている生き物ではない。
どこかで一回自分を整理しておきたくなる。コミュニケーションモードのスイッチを45分に1回くらい入れ直さないとその場に見合った”さの”が提供できなくなってしまう。そういうときにスッと胸ポケットから喫煙具を取り出してさっと一息おいて、自分のテンポを取り戻してみたり。そういうときタバコのない自分はトイレに行く。だからめっちゃトイレ近い人になる。
なにかの作業が一段落しての帰路に付く前の十数分。ある程度の疲れが溜まっている中での一服はさぞかし気が抜けていいのだろう。タバコのない自分は爽快感を得るために炭酸を飲んだりチョコを食べたりしてる。
1対1でのご飯でのシーン。ひとしきり盛り上がって話が一段落したときの沈黙。そこでも喫煙者と非喫煙者の沈黙のいなし方があるがこちらでも喫煙者のほうがスマートだ。話が一段落したあたりで灰皿に手をつけ「ちょっと大丈夫かな?」と断りをいれてタバコに口をつける。しばらくするともくもくと副流煙が漂いつつ、すっと一息置けて次の話題に話が転換していく。
非喫煙者の場合はどうだろう。何気なくスマホなどに手をのばしたりとかしちゃってなんかぎこちない。沈黙の時間は同じだとしても「見え方」が喫煙者のほうが圧倒的に格好がつく。
こんな感じでタバコがあればいい感じに埋められるシーンが日常の中に点在している。喫煙者は自分では自覚してないだろうがあらゆる場面で”スタイリッシュ”な立ち回りをタバコによって可能にしているのだ。
そんなスタイリッシュさを喫煙者だけに独占させておくのはどうなのか?何か代替品を探して探していくうちに中国の茶タバコなるものを見かけて、これなんじゃないかぁ…って思った。侮れないな中国四千年の歴史。
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