いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

陰キャラを盗撮する輩から忘れた傘を届けてもらった話

はじまり

22歳にもなって行きたくもない大学に無理くり通っていると当然ストレスが溜まってくるわけで。そもそもモラトリアム真っ最中の男女が300人近く同じ空間に収容されていてリラックスなんてできる訳なくて。

盛りに盛った男子大学生は、男性ホルモンが分泌するなんともいえないむさ苦しい臭いを目元まで伸ばした重めの前髪で覆い隠すかのように垂れさげて、その前髪のせいで少し悪くなった視界で荒野行動に勤しみ日々顔も知らないプレイヤーの分身を必死に撃ち殺すのに尽力している。

おなじく今は人生の夏休み!と誰も聞いてもいないのにモスキート音の不快感を200倍にも引き上げたかのような甲高い声で叫び続ける女子大学生は、あきらかに使用容量よりも遥かに香水を身体のそこかしこに吹きかけ、一時間に一回リップを塗り直し、2時間に一回ファンデを塗りたくる。そして誰が見てるかもわからないようなカラフルなアイコンの写真投稿サイトの更新のために、食べたくもない着色料にまみれた砂糖菓子に安くはない金を払う。

 

まぁそんなにも周囲の環境に不満を垂れても大学側は単位をくれやしないので平成最後の年にもせっせこせっせこ大学へは行っているのだが、せめてもの抵抗としてなるべく周囲と関わりをなくせるようにいつも5人がけの座席を一人で2人分占領させてもらっている。

少しマナーに欠ける行為である自覚はあるが、自分が受ける授業はおおかた着席率は8割程度なので周囲には迷惑をかけていないということで目をつぶっておいてほしい。

 こうもしてるとそうそう隣には学生は寄ってこないので幾分快適に過ごせるのだが、極稀に面の皮が厚い学生が自分のカバンが置いてある座席を指差し「こちらの席は空いていますか」と問うてくる。

そこでいいえ連れが来ます、とでも言ってしまえばおしまいなのだが自分はそこまで図々しく生きられる人間ではない。おそらくそれができていたら上でも述べていたような学生たちと重めの前髪をたれ下げて共に荒野行動に勤しんでいたことだろう。

はいどうぞ、とカバンを避けて面の皮が厚い学生と講義前後の100分間ほどを共に過ごすことになるのだが、この頃はまだ後日にこのようになにかにこの体験を書き残そうとしようとするほどの出来事が起きようとは思いもしなかった。

 

理解できないことを理解する

講義が始まるまでに面の皮が厚い学生は連れに向かってやれバイトが決まらないだの、ナイキの新作が欲しいだのああでもないこうでもないと話しているのだがいかんせん声が大きい。イヤホンをしてPCに向かっている自分に否応なしに話の内容が伝わってしまう。なにか作業をしていたのだろうがそれに完全に集中できるわけでもなく、なんとなく面の皮が厚い学生のことを眺めていると思わず目を疑うようなことをやってのけていた。

彼の斜め前に着席していた

・洗濯に洗濯を重ねて色あせたTシャツ

・洒落っ気のない銀縁のメガネ

・運動不足を感じさせる膨よかな背中

・寝癖を軽く直した程度であろうそれほど手を加えられていない頭髪

 

上記のようななんとなく冴えない、いわゆる「陰キャラ」と呼ばれるような学生が使用している、かなり年季の入ったペンケースを、連れとの会話を一切やめることなく片手間で盗撮していたのだ。

なにも悪びれることなくペンケースをカメラに収めて会話を続ける彼に自分は疑問を隠せなかった。彼の中で何がどうなってその行為に至ったのか?くたびれたペンケースは特に珍しいものではなく、郊外のショッピングモールでもなんなく購入できそうなものだ。その持ち主にも自分にとっては特に人間的に魅力を感じるような人だという印象は抱けなかった。

面の皮が厚い学生の中では、陰キャラがくたびれたペンケースを使用していることがトピックであり、エンタメ性を何かしらに感じたのであろう。自分が多分一生知ることのない彼のコミュニティ内での小見出し程度のニュースとして使い古したペンケースの画像は流れていくのだ。

 

こう書くと事柄すべてが面の皮が厚い学生内のコミュニティで完結しているように思えるが「撮られた側」にフォーカスを当てるとどうだろう。

彼はただ座席に座り講義に備えていただけであり、自身の持ち物が撮影されたことなど知る余地もない。これは自分の中の価値観の問題だが、くたびれたペンケースを使用していることは特に本人が気にしていなければなんら恥ずべきことではない。しかし、彼が現在所属している”大学”というコミュニティの中ではそれは写真にひっそりと収められてしまうくらいにはイレギュラーなのだろう。大学生になったのだからペンケースくらいはある程度小奇麗なものをもつべき、といったところか。だがその大学内でのもっと小さい”彼の身内”というコミュニティではおそらくそうではないのだ。ペンケースはペンが入ればなんでもよい、くらいに考えているのだろう。その価値観の集団の中で生活が完結しているので、彼が大きなコミュニティの中でのイレギュラーであるという事実を自覚する機会はしばらく与えられず、このままの価値観から変化することはない。大学というコミュニティから脱するまでずっと、彼はイレギュラーであり、社会の窓が開いたジーンズを履き続け、見てみぬふりをされているような仕打ちをうけるのだ。

 

そこまで深く考えての行動ではないとは思うが、身内の中のトピックとして近場のイレギュラーを安易に吊るし上げるその精神に、つくづく辟易しながら講義を受けてはみたもののやはりどうにも腑に落ちず、普段以上に集中できないまま講義を受けた。

 

放っておけない人たち

 講義の内容としてはIQというものができた背景とその求め方とか、まぁそんなもんだったとは思う。一通り終えて出席表代わりのリアクションペーパーを提出して教室を後にしようとした。するとまぁ表題どおりの出来事が起きたわけだ。

自分が傘を忘れた座席から30m近くある距離をわざわざ追っかけてきて、この傘忘れていますよ。とあのよく通る聞き取りやすい声でほいと渡された。自分としては感謝よりも先に動揺してしまった。あの一連の出来事により、勝手に彼のことをモラルのない学生とカテゴライズしてしまっていたのでただただ予想外だった。それと同時に自分があのようなカースト下位にいる輩を見下しているような人間から、このような恩恵を受けられているということは、少なくとも自分はあのようなカースト下位層の人間にはカテゴライズされてはいないのではないか。と考え少しばかり安堵した。

なんとまぁ鳩が豆鉄砲を食ったような体験をしてしまったが、逆にこの体験をきっかけに面の皮が厚い学生に必要以上に関心を抱いてしまった。自分の中で彼の行動に対する答え合わせのない考察をはじめた。

・席を余分に占領しているであろう学生に声をかけて自分の座るスペースを作る。

・↑のような図々しい行動をしていた学生の忘れ物を届ける。

・斜め前に着席している学生の持ち物を密かにカメラに収める。

 上記3点のようなことは自分の中では考えがたい、行うことがないような行動だったのでどうも当て外れにはなりそうだが、結論として「物事を放っておけない人」なのだろう。ということで落ち着けた。

陰キャラがボロッボロのペンケースを使っている!自分は特に何も害は受けていないが面白い!あいつらに発信しなくては!」と「隣の人が傘忘れていってる!困るだろうから届けなくては!」が同じ回路で生み出されて行動しているのだろう。どちらも面の皮が厚い学生にとっては”近くに座っていた人の出来事”であり自分は一切関与しなくても完結する。膨よかな学生は講義が終わればペンをペンケースにごく当たり前にしまうだろうし、自分も傘を持たぬまま校舎の外に出てはっと傘の存在を思い出すだけだ。

しかしそれに彼は自分から突っ込んでいく。無関心を拒否するのだ。蛇のいるかもしれない藪を片っ端からつついていく。最近ではそれがすごく簡単に無意識に行えるようになっているのではないか。コミュニケーションツールの多様化によりいつでもだれとでも気軽に連絡を取れるようになり、常時薄くなめらかな状態で他人とつながりを持っていることが普通となっていて、かつその薄くなめらかな人間関係は重なり合いやすい。

顔の知らないユーザーの分身だっていつでも撃ち殺せるし、FF外から失礼しますの一言で赤の他人とも気軽に言葉のやりとりが可能だ。このようにコミュニティの隔たり、壁が低くなっているので他人を他人と感じにくくなっているのであろう。

ただ、今回はその「放っておけない」精神が自分の傘を手元に届けてくれた面もあるのでそれの恩恵と弊害の両方に触れられたので改めて良い機会だったのではないか。

 

身近な「放っておけない」人

 

これを書いてて思い出したが自分の周りでも、以前それを感じさせるような出来事があったので追記しておく。

サークルの後輩たちが飲み会の帰路で、そのメンバーと全く同じ鞄を持っていた他人とすれ違った。そのメンバーはサークルの中でも中心人物だったこともあり大いに盛り上がり、なんの悪びれる素振りもなしにお揃いの鞄を持った人の隣に並んですまし顔をしてみせて、飲み会帰りのメンバーを楽しませた。

と、ここまで自分がその場にいたかのように書き連ねているが実際に自分はその場にはいない。これを見たのはその後輩たちの一人のSNSの投稿越しである。

これも同じく通りすがっただけの他人を「放っておけなく」なった一例でヒトとヒトのパーソナルスペースを安易に侵害しかねる事態であろう。

感情の感度をより高くするモノに囲まれすぎて気にしなくてよいことを気にかけることが日常となった今、必要となるのは”無関心を選択するスイッチ”なのかもしれない。

 

もっとも、 たまたま隣り合わせた学生をブログの記事にしている時点で自分も「放っておけない」人種であると再確認しながら。