いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

久々に会った友人は、いつもどおり喫煙所を探していた。 2020/05/30

昨日の深夜から食べたくて食べたくてしょうがなかった明太子パスタをたらふく作って食べる。父親から明太子を使いすぎていないか?と不安がられたが実際使ったのは一房の半分程度の量だったので、心配ないよと答える。父親のイメージの中で明太子パスタに含まれる明太子の量がかなり膨大なものであったことを知れた。

1ヶ月ぶりの外出。待ち合わせ相手がかなり予定を前倒して集合場所に到着していたので、こちらも急いで向かう。実に1ヶ月ぶりの電車。ほぼ毎日乗っていたのに久々に乗車したら今までにないくらい落ち着かなかった。巣ごもり生活では感じられない他人の視線、存在。空気。まだまだ皆警戒している部分もあってか、隣り合った座席に座ってくることはないのが、人どうしのパーソナルスペースを強調しているようで妙な緊張感があった。そんな中で角の座席に座っていたら、いわゆる座席が感覚空けて座れるくらいには空いているのに、狛犬ゾーン(乗降ドアの両サイド)に陣取り、結果的に角の座席に座る自分の間近に立たれていることがあり、普段以上に気になってしまった。絶対電車の座席に座らない人たち、たまに見るけどどうしてなのだろう。座ればいいのに。

公開から4ヶ月程度経過している映画が目当てであったため、上映している場所がかなり限られていた。その中でも一番マシな立地であった幕張新都心のイオンに到着。駅から少し距離があるので、専用のバスを利用したのだが、ICカード決済よりも現金払いのほうがお得になる料金設定であったことに驚かされた。なにかそうしないといけない理由はあったのだろうか。

久々に会った友人は、いつもどおり喫煙所を探していた。緊急事態宣言の影響で明らかな密集が予想される場所はどこも使用を制限されていた。もちろん喫煙所も例外ではないため、1つのショッピングモールにバス停が3つ設置されるほどの規模感のショッピングモールでさえ、1Fの屋外の喫煙スペースのみしか開放されない徹底ぶりであった。喫煙者はこれまでも、そしてこれからもつらそうであった。

自粛生活の中で「なんで」を使わないようにしている。「なんで」のかわりに「How」を使ったほうが生活のレベルがあがる。みたいな話をされた。この友人は何かで吸収した知識をちゃんと出典先も含めて紹介してくれることが多く、そこに好感が持てる。そんなこんなで近況を報告していたら、ずっと発信していた人参栽培の話題に関しては「なんで?」を使ってきて、自分で自分を戒めているシーンも見て取れた。

映画館は3密を避けるため、座席数の半分しか案内しないような方針だった。そのため、もともと小さいスクリーンで上映する予定だったこの映画の残り座席は上映3時間前で残り4席程度だったらしい。ネットでの事前購入ができず、窓口での販売のみの対応であったのにこの売れ行きということにも驚きであったが、自分たちよりも早くショッピングモールに来て、座席をとっている人間にも驚かされる。彼らは土曜日をほぼ一日モールのみで過ごすのだろうか。商業施設に魅力を感じない自分からしたら考えがたいことであった。

上映まで3時間近くあったので、ショッピングモールをうろつく。なにも買う予定がないのにアジアン系の雑貨を眺め、ヴィレヴァンを冷やかし、サブカル界のメインカルチャーをネタにして盛り上がった。AKIRAの原作はAmazonでは10000円弱するようになっているらしいが、田舎のモールでは普通に定価で販売されていて安心したり、版権元が怪しいTシャツの怪しさを楽しんだ。やっていることは中学生の土日と変わらないのだけど、ヴィレヴァンの商品に対する感情が中学時代とは大きく変わってたなと今になって思い出す。当時はあのカラフルでわけのわからない空間で販売しているものは全部最先端のモノで、持っていれば間違いないと思っていた節もあったが、現在では様々な部門での一発屋的存在の行き着く先であったり、オタクの想像する「お約束」の集まりのようにしか見えなくなっていた。まぁいろんなカルチャーの簡易的な吹き溜まりであることは確かなので、様々な話題のお題箱として、いけばなんとなく暇は潰せる場所ことは今も昔も変わらない点ではあるのかもしれない。

フードコートを利用したくもないし、かといってレストランに入ってまでガッツリ食べたくはなかったのでスーパーの惣菜コーナーで軽く済ませる。鶏一羽がまるまると使用されていたローストチキンを目の当たりにして盛り上がったが購入までは至らず、隣のパン屋でパンとコーヒーを買う。2,3年前なら絶対に買ってただろうローストチキンをスルーする流れに自然と向かった自分たちに老いを感じつつ、パンを食べる。朝に明太子パスタを食べてしまったのに、なぜか明太子フランスをチョイスした自分に首を傾げながらも食べ進め、再度喫煙所に。遠くで聞こえた救急車のサイレンに反応して、わざわざ喫煙所から身を乗り出してまでその音の出処を確認する野次馬根性あふれるおじいさんの姿と、ICカード決済の自販機を使いこなせないおばさんの後ろで順番を待った40秒間が印象的な喫煙所であった。

まだまだ時間があったので、蔦屋書店へと足を運ぶ。蔦屋書店が出来た頃にはすごく洗練された最先端なスポットのように感じていたが、今はそう珍しくもなくなった。レンタルコーナーはサブスクの影響により大打撃。レンタル利用されていない不良在庫になってしまったDVDたちが中古品として投げ売りされていた。当時ハマったアニメのDVDや、劇場まで足を運んで観た映画のタイトルが300円程度で販売されていたのは少しノスタルジーを感じられたが、それ以上に盛り上がったのは「街中喧嘩シリーズ」や「本当にくだらないドッキリ」のようなコンビニで売られているような漫画本の民度をそのままDVD化したものの存在でもあった。棚で見る分には面白かったが、そこにカネを払ってレンタルしている人の存在は想像できなかった。

緊急事態宣言解除後の映画館は、なんとも異様な光景だった。開放的だったオープンスペースにはベルトパーティションが引かれて、必要最低限の動線のみが確保され、出入り口には検温を担当するスタッフ。そのスタッフの制服も宇宙船の船員のようなものであったため、その出入り口の空間だけで軽くSFの世界観が完成されていた。それを進むとドリンク販売のコーナー。メニューやポップコーンマシーンをライトアップする照明の手前にはでかでかとビニールのシートが。そのシートも照明の光で浴びていたためにより近未来の施設のように見えてしまった。座席につこうものならキレイに感覚の空いた配置。これはこれで快適であったので、この体制で映画を観れる環境が続いていくうちにもっと観ておいたほうが得なように思えた。

映画の内容としては半年前に観たアニメの正当な続編としての劇場版。かなり重めの、犠牲が伴う気分の良い物語ではなかったが、細部まで完成度の高い満足いくストーリーであった。ダークファンタジー、本当に流行っているけれどこの映画も十分その流行に負けないものであるはず。映画のあらすじだったり、そういうものに触れるとキリがないので一旦ストップ。

上映が終わって感想戦をしながら歩く。バスをつかわないと30分程度の駅までの帰路。感想戦には丁度いい距離であった。映画はそれを見ること自体ももちろん、その後の感想戦もあっての映画であると思うので、そのフィードバックのぶつけ合いができるのはやはり楽しい。駅について、また喫煙所を探していたが千葉市の厳しい受動喫煙対策と緊急事態宣言が重なってどこも喫煙所が開放されていなかった。その流れで、レンタサイクルを利用して喫煙所を探しながら都内に向かうことに。行動力、変な方向に振り抜けているが、自粛明けの土曜日にはうってつけの提案だった。

自転車は毎日乗っていたが、電動アシスト自転車は初体験であった。一番足に負荷のかかる漕ぎ出しを、電力でアシストしてくれる感覚は革新的であったし、実際どこまでもいけるような感覚になった。少し踏んだらグン。と進む。このご時世で人通りが少ない道を二人でずんずんと進んだ。あえて地図は見ないで、道路標識だけを頼りに幕張から東京を目指した。

車通りの多く、排気音が大きい中で自転車を漕ぎながら会話する。自然と声が大きくなりながらくだらないことを話す。たくさんの橋を超えて、坂を登る。足への負担はあまり感じることはなく、どんどんと道を進んでいく。自転車を漕ぎながらの会話はやはり自分の中での何かのルーツであるように思える。中学時代の遊び場といったら自転車で30分くらいの場所にあるイオン。そこからの帰路である夕方の上り坂の記憶と、この都内を目指す上り坂が妙に重なりあう部分があった。随分遠くまで来たように思えたが、やることは結局変わっていない。そんな安心感すら感じられた。途中のコンビニでの休憩で食べるホットスナックにさえもその安心感に包まれている気がした。

道に迷いながら、返却場所を見つけたときにはもう築地まで来ていた。普段なら賑やかに海産物を提供してくれる市場もこのご時世には店なんかやっていない。シャッター街に成り下がっていしまった街を銀座に向けて歩く。眠らない街で腹ごしらえを、と考えていたがなかなか開店している店は見つからない。ごく少数ながら、酔っ払って上機嫌になっている集団を見つけることはあったので、どこかしらで営業はしているのかもしれないがその酔っぱらいたちの出どころはつかめずじまいだった。

銀座の街先で騒ぐ集団とすれ違い、友人は「どうしてああやってあの場所で騒ぐことができるのだろうかわからない。」と呟いた。「多分、そうしていないと周りから人が離れてしまう人たちが集まっているから騒ぎ続けているのだろうな」と返した。普段は大衆に紛れて目立たないその集団の薄さが、人通りの少ない銀座という街自体に浮き彫りにされているようにも見えた。そんなことを思いながら、スカスカの電車に乗り込み足を休ませた。