いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

緊急事態宣言が解除されてもブスはブス 2020/05/25

月曜日を始めた。自宅でずっと過ごしている人間の平日と休日の違いはAM8:30に目覚まし時計をかけるか、かけないか。それしかなかった。どちらもどうせ起床してからすぐに液晶を眺める生活であるのには何ら変わりがない。

もう3週目にもなればオンライン授業にも慣れる。そのなかで対面で何か物事を進める利点を知った。それはなにかトラブルがあったときにこれが自責のものなのか、他責のものなのか、比較的すぐに確認しやすいところだ。一緒に進めている物事につまづきが発生したときに、責任のある方から何かしらリアクションが速やかに返ってきたほうが安心する。そういう空気感とか、オーラを感じられないために共同でなにか進める作業をオンラインでやってしまうとなんとなく歯車が狂ってしまうことって結構多いのではないか。と思う。

ニュースサイトが自分の望んでいた報道を行っただけで、「我々の勝利。長かった…」と喜んでいるおじさんをネットで見る。おじさんなのに自分の行動で変化を起こせる範囲を履き違えている感じが気持ち悪かった。あと、自分の思い通りになったことを「勝利」と表現するのも気持ち悪かった。何回も言うけれど、本当に物事を勝ちか負けかだけで判断できない人がたくさんいすぎて本当に参ってしまう。どんだけカロリー使えば気が済むんだろう。Twitterを見て毎日弱っている。

あと、人間味のないネタツイばっかり投稿しているアカウントがどういう心境かわからないがいきなり顔を出し始めた。ネタツイばっかああだこうだ言ってる人ってすごい自分を下げて喋るし、ネットに入り浸ってる人間て大層陰気臭いのだろうと思っていたら想像よりも全然マトモ、いや普通に整った顔していて驚いた。SNS見てるとこういうこと(ブスっぽいこと喋ってるが実際は全然ブスではない)が多すぎるように見える。

いや逆か。実際のブスは本当にブスを気にしているからネタにするのも辛いのだろうし、せめてネットの中ではと名一杯格好つけているのかもしれない。となるとイケイケなオーラをネットで発揮している人たちを追っかければその人達が意外とブスだったりするのだろうか。ネットの中ではなりたい自分と本来の自分が逆転している?いや、違うな。誰もブスになりたい人なんていないし。

閑話休題。そうやって顔がマトモな人間が自分を卑下して顔を隠してネットをやっている事実を知るたびに、もはや世の中に自分以上のブスはいないのではないか、と不安を覚える。ネットがどんどんと生活に浸透してきたからか、ネットのなかでイキイキしていたブスたちも、そのマトモな人間から隠れて生きるようになってしまったのだろうか。性格が悪いが、「自分本当にブスで〜」って言ってる人と実際に会ってみて、本当にブスだった。みたいな経験をしてみたくなってきた。ネットでしぶとく生きてるブスに会って、自分の居場所を再確認したい。まだ、ブスでもネットやっていいんだよ。と自分を鼓舞したい。

緊急事態宣言が解除された。なんかもう自粛しすぎてわけがわからなくなっている部分もあってイマイチ実感もわかない。満員電車は解除される前のGW後からすでに満員電車だったし、飲食店もやってるとこはちゃっかりやってたりしたし。学校もどうにかこうにかオンラインでなんとか始めて、やっとこさ慣れてきた手前で、さあ!普段以上に気をつけて頑張りましょう!とか言われても世間も困るだろうな。いきなりこんなにああだこうだ言われてもまだまだ世間の目も怖いし、色んな業界の勇敢で体力のある人達がいの一番に手を挙げて、行動のお手本を示して、その業界がそれに習って動き出して。そこからゆっくりゆっくり、”やりすぎてる”ところを減らしていって…従来通りの売上に戻せるのは早くて夏ぐらい?見当もつかない。とりあえず、いち早くエンジンかけないといけないけど、一気に踏み込んだらエンストしちゃうし、まだまだ様子見だよね。なんだかんだ。

あともう一個、気になってるけど調べてないこと。「芸術、文化を守るためにそういう公演やってるところに最大150万近い支援行いますよ」みたいなのを聞きかじったけど、聞きかじる限りこの「芸術、文化」と単なる”娯楽”の境目でまた揉めそうだなーと。すっごくわかりやすく例えると、トランペットの団体には支援が行われて、チューバの団体には支援が行われないとか。同じTDCHで行う公演なのに、オーケストラコンサートには支援が行われてるが、アイドルライブは適用外とか。国が認める「文化、芸術」ってなんなんだろう。

10日ぶりくらいに犬の散歩をした。外が暑いからか、犬の歩く速度が普段より遅いし、すぐへばってしまっていて不安になる。前飼っていた犬は8歳で内蔵を悪くして旅立ってしまったが、こいつはもう既に先代よりも2年も長く生きている。そう考えるともうそろそろなのかもしれないな、センチメンタル。そんな自分の心境とは正反対に公園は子供で溢れかえっていた。サッカーボールを追っかけるちびっこもいれば、リフティングのスーパープレイをTiktokに投稿しようと撮影に励む男子たちも。サッカーというスポーツの気軽さを改めて知る。

人参の切れ端が成長するのが思いの外楽しい。今日は人参しりしりをつくり、また切れ端が出てきたので、もう一つ育てることに。部屋には2つの人参の切れ端が水に浸けられている。友達に自慢したら乳首みたいと言われ、たしかにそう見えなくもないのでショックだった。