いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

スカッとできないジャパン 2020/04/27

はてブロの古賀さんの特集で一気にモチベ上がって、何回目かわからない日記の書き始め!暇じゃないけど、暇だしね。

しばらくは本当に外に出ないし、内容もすっからかんだけど、書きだして外にだす。これってめちゃ大事だと思うし。書き始めた時点で5割ゴール。ESと違って正解も判定もないのが大変よろしい。はーーーラクになる。タイプが文字になるたびにラクになる。そういう暗示をかけながら、10日、100日、1000日。続けていく!

 

自宅待機でも、なんでも、だいたい8時には目が覚める毎日。なぜなら祖母が一緒に住んでいるから。1月に腰痛めてからずっと家にいて、完治したと思ったら今度は世の中がやられてしまってかれこれ4ヶ月、行動範囲が飼い犬の散歩で歩けるエリアと同じものになってしまってる。そんな祖母のこの家での役割が洗濯係。洗濯モノを移動させる音とかで、ちゃんと目が覚める。

気の抜けた朝の挨拶を交わしながら、あつ森を開く。枕元にSwitchがあるのでまだ布団からは出ない。商店とカブ価と、服を見て、今作ってる住宅街の工事依頼を済ませて閉じる。島クリエイトの意図的な不自由を感じさせる操作のなかで作ってく島はいつ完成するのか。そもそも完成させてどうなるのか。知るものはだれもいない。

 

家にコピー機がないので、コンビニまでPDFファイルで配布されたESをコピーしにいこうとした瞬間に雨が降り出す。あつ森さえなければ不自然に大きい傘をさす必要もなかったのに。無念。近所のような広い駐車場のついたコンビニにいる、どっかの中小の外回り営業クンが営業用の軽の中でソシャゲいじってる姿を自粛中も見かける。あれにはなりたくないが、自分の中にあれになりそうな要素があるから、そういう不快感を感じるんだろうな。一種の同族嫌悪的な。

 

手書き指定のESを書きながら、顔の見えない採用担当へのフラストレーションを自分の中で育てていく。何社分の志望動機を書いて、何人に向けて自分のありもしない強みを語ったのか、これから語っていくのか。うんざり。嘘をつかない大人になりたいのに、大人は嘘を求めてくる。ノミ。ゴミ。かゆ。うま…。

 

実家ぐらしの世知辛いところとして、テレビのチャンネルの選択権が一切ないところ。自分が見たいものがないから別にいいのだけど、自分の見たくないものを家族が見たがることが多いのだ。一日中家の中にいる祖母は坂上忍のことをあんなにスラスラ喋れてすごい、なんて頭のいい人なんだ。とありがたがってバイキングを眺めている。あの人がスラスラ喋れているのは頭がいいからじゃない。他の人がなにかに、どこかに配慮して言いとどまるセリフを言い留めないからだ。ブレーキを踏まない、と踏めないは違う。

やっすい撮影セットでつくった、つまんない被害者意識を集めてこねくり回してできてる女の愚痴ツイートの寄せ集めみたいな体験談を再現ドラマに起こした番組スカッとジャパンを父親は毎週楽しみに見ている。あれでスカッとできる人間が本当にいるのか、生きているうちに知りたい。あの番組を嫌いだ、と自分が伝えると母親に「あなたのどこかにあの再現ドラマにあてはまる部分があるからではないのか」と言われて心底嫌な気分になった。あの番組にはそういう踏み絵要素もあるのか。あの茶番じみた勧善懲悪劇場を楽しめるマインドを持つ人間はマトモで善良。楽しめない人間は陰湿で虐げられるべき仮想敵側の人間。そういう刷り込みが知らずしらずに、誰の自覚もないまま行われているのかもしれない。なんだそれ、気持ちの悪い。そこには住みたくない。世の中にはなにかを好き!と発信することで生まれるコミュニケーションと、何かを嫌うことで生まれるコミュニケーションの2つがある。気がする。自分は前者より後者が向いてる人間なのかもしれないな。浅ましい。スカッとジャパンが嫌いな人と仲良くなって、わざわざバカにするために再放送でも眺めながら酒でも飲むやつとかするか?いや、絶対しない。テラハも終わってしまったし、適当にアニメを見て寝るぞ。