いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

新宿駅よりもうるさい自宅 2020/08/30

疲れて倒れるように眠った次の日とは思えないくらいにしっかりと目が覚める。まさかの8時起床。夜のうちにつけておいた冷房の冷気が朝日で温められて、部屋の温度が上昇するタイミングでの起床。夏の期間はずっとこれだ。あと今年は何回この起き方をするのだろうか。少なければ少ないほど良い。

マイナビのアプリの通知。特に気にもしていなかったが、あの赤いアイコンバッチが点灯している状態が苦手なので、とりあえずアプリを開いて通知を削除する作業をした。通知の内容は、一昨日に面接を行った特段行きたくもない企業の内定通知であった。あれだけ枯渇していた内定。いざもらってみてもなにも感情が動かなかったことに驚いた。本当にこの企業には行きたくもないのだろうな。内定をもらって初めて気が付かされる。愛着とか、そういうものが湧いてくる様子も一切ない。むしろ内定承諾期間が長めで安心できたくらい。唯一喜べることがあるとしたら、これから先の面接で、嘘偽りなく「内定をもらっている企業は一社あります。」言えること。その一点のみにおいては心底嬉しい。そういったメンタル部分での余裕。これは4月頭に欲しかったものだが、8月末になってやっと手に入れることができた。

自分にとっては一大事だったはずなのだが、別段眠気が覚めることもなく、眠い目をこすりながら課題に取り組む。流石にここまで先延ばしにした課題であるがゆえに、全く手がつけられないくらいには理解できていないものを題材にしたレポートに仕上げる作業。今季は実に30くらいのレポートを書いてきた実績があるが、今季一番の難題。全て自分が講義を聞き流してしまっているがゆえの結果なので誰のせいにもできない。自分が自分で何を書いているか分からなくなりながらも半分書いたところで挫折。例にもよって今日もペペロンチーノを作って休憩した。母親に先日購入したニンニクが中国産であったことに小言を言われながら作ったので、決して良い気分での食事ではなかったがいい気分転換にはなった。

なんて、思えたのもつかの間。自分が作業に復帰しようとした瞬間に大々的に自宅の大掃除が始まり、掃除機にハタキに大騒ぎ。いくら真剣にPCに向かおうとしても周りがそれをこれ以上とないくらいに全力で邪魔してくる。多分あの時間の自宅と新宿駅だったら、余裕で後者のほうが集中できたと思う。そのくらいの騒音が自宅を包んでいた。一度騒音が気になってしまったら、もう何も手がつかなくなってしまう。掃除機が終わって30分くらいしても、耳の奥深くで掃除機の吸引音がリピートされているようになり、脳が締め付けられるような感覚に陥る。なにもしていないのに過剰に疲れを感じてしまった。こんな状態が3時間も続き、課題を進めることが困難になってしまう。

この倦怠感の正体は完全にメンタルの問題であったので、少し涼しくなってきたタイミングで適当に外に出かける。地元のニトリに向かい、ベッドサイドデスクを眺める。4000円くらいで見繕う予定であったが相場は2倍。見積もりが甘すぎた。早速諦めて近くのパチンコ屋へ。緩めの普段着で休日にパチンコ。負け組オーラしかないからか、当然のように負け試合。一時間あたり2000円で無を買って帰宅。やけくそになって課題の残りの字数を埋めてやったが、あまりにも粗悪なレポートすぎて一度提出をためらうレベルの仕上がり。1時間ほど寝かせて、罪悪感を薄めてから教授のもとへと送り出した。自分が教授だったら日曜日にこんな仕上がりのレポートが学生から届いたら、それだけで8月最後の日曜日が台無しになるであろう。そんな無慈悲な行為をやりのけてしまった。

とりあえず、これで大学関連は本当に一段落。もっとスッと肩の力が抜けると思っていたがそんなことはなかった。引き伸ばされた就職活動に、10日後の成績発表。その2つが未だに自分の肩にのしかかっている。この重みを解決するための処方箋となりえるものがあるとするならば、明々後日に予定されている宝くじの当せん発表くらいであろうか。

今書いていて気がついたが、宝くじなどの無作為な選出方法のものは「当選」ではなく「当せん」が正しいのだな。確かに当選だと、抽選が作為的なもののように感じられなくもない。「障害者」を「障がい者」、「子供」を「子ども」なんて記載する暗黙のマナーみたいなものはなんとなく小馬鹿にしていたが、宝くじによって自分ごと化されると、確かに。こういう書き分けが大きく意味を持つようにも思えた。