いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

どさくさでの吉野家ダイマ 2020/08/16

運良く二日酔いにはなっていないが、やはり身体は重い。気がついたら課題が本当に無理をしないと終わらないような状況にまで追い詰められている中、アルバイトへ向かった。せめてもの危機感の意思表示ということで、わざわざノートPCを鞄に詰めて、自分の課題の重みを物理的に感じられるようにした。重みを実際に感じるだけで、対してどうこうしようとしていないのは、自分が往復2時間あった通勤時間の電車内で一回もPCを開くことがなかったのがもう、答えであろう。やっていない自分の無頓着さを許してしまったら、もう自分がそこで終わることを知っているからこそ、自分は終わっていない!危機感を感じ続けている!と常に自分自身に意思表示をしているのだ。

飛沫を避けるマスクに、飛沫を避けるビニールに、飛沫を避けるプラシート。そういった、目に見えてわかるようなコロナ対策にがんじがらめになりながらのアルバイト。呼吸的な面でも、精神的な面でも苦しくて苦しくてしょうがない。周りがこんなに抵抗なく対応しているのが不思議だ。後輩が何食わぬ顔をして備品をウェットシートで除菌していたり、ビニール手袋をつけて作業する様子にまったく戸惑う素振りがない様子を見て怖くなる。典型的な老害思考かもしれない。自分らがスマートフォンなどの新しい機器を取り入れたときに、ガラケーを頑なにこだわって利用するような人たちに首を傾げていたような感覚をこの新しい生活様式の中でも感じさせてしまうのかもしれない。どうしてアイツらはここまで消毒だったりコロナ対策に嫌な顔するのだろう?と若い層からは思われているのかもしれないな。

バイトの間にもレポートのページを開くだけは開いてみた。ネット環境が整っていない環境でのレポート。何かを調べようとしても全然進められないので捗るわけがない。どうにか苦し紛れに文章を連ねるだけ連ねて終わり。バイト先で、課題に苦労する苦学生のキャラをするためだけにPCを背負ってきた人間になりつつあった。

正直、こんな日記に時間を使うタイミングではない。この日記は自分の中ではレポートよりも優先順位だが、妥協はいくらでもできる。このあたりで適度にごまかしてレポートに移行しないとだな。

朝に松屋、夕食に吉野家を食べたことだけ。吉野家の牛丼になれてしまうと、松屋の牛丼の味の浅さに驚かされる。単なる味の濃い肉がのった湿った飯、以外の感情を持てないオマケの味噌汁でごまかすような店舗の牛丼と、吉野家は比較なんかしては池な方と思う。吉野家を食べたあとのあの口の中に残る「牛の油」感。アレはすき家にも、松屋にもない牛丼の牛丼たる所以の後味ともいえるだろう。あれを感じてしまったら、一生吉野家についていくしかなさそうだ。