思春期の感性をずっと引きずってるのって、果たしてアリなのか。2020/08/14
レポートに取り掛かる前に家族と一悶着。ほぼ言わされる形で、父親と祖母の死を願わされる形を取らされてしまう。何を言っているか分からないだろうが、実際にあったこと。今書いていても意味が分からない。やりきれなさを抱えながらレポートを書いても半分も進まない。そろそろスケジュールがカツカツになってきた。
なんの気なしに学生ポータルサイトを眺める。コロナ関連の給付金で、初めて自分が直にもらえそうな案件のモノを見つける。計算したら安易に20万近くもらえそう。安直にワクワクしてしまい社員さんに相談した。もらえる可能性は低そうではあったが、捕らぬ狸の皮算用が止まらない。モニターとPS4を購入して、10月から3月、腐り倒してやりたい。これの給付金の存在を発見したことも、レポートに対する集中を阻害する一つの要因となってしまった。
説明会。今までよりも魅力を感じられる企業だと思えたらやはり夏採用。就活も1ターム終了したことを気が付かされる。人柄重視を強調されていたが、どうですか?私めの人柄は御社に見合いそうでしょうか。
夜からバイトに向かった。夕方からわざわざ外出するのはどこか損をした気分になったので、サンダルを履いて、強引に休日感を味わった。「サンダルを履いて、休日感を無理やり味わう」という言い回しはたしか中学時代にかなり影響を受けたライトノベル「ファンダメンダマウス」の中で出てきたフレーズだったかもしれない。思春期に突き動かされた部分の感性は、今後の人生に大きく影響を与えているようだ。実際、最近ずっと聴いているようなプレイリストの楽曲だって、さかのぼってみれば高校生の頃から根本は変わっていないし、ましてや高校時代から聴いている曲が今でも現役だったりする。思春期の感性をずっと引きずってるのって、果たしてアリなのか。誰に迷惑かけているわけでもないけれど、このままでいいのだろうか。という焦りは常にある。たかが趣味の中での話だけれど。
集合時間の1時間前に渋谷に到着。街を歩いている人数の絶対値が現象しているからだろうか。街中ですれ違う「危なそうな人」の割合が増加しているように感じられた。コロナによって店頭のシャッターを閉めているところに、このクソ暑いのにたむろしている若者たちは今思うとIWGPとか、そういうポケベルとか、PHSとかが流行した世代のギャングっぽくて傍から見ると味があったのかもしれない。いや、個人個人で見ると単なる勘違いした若者だけど、それが集合して初めてカルチャーとなるようなそういう形式美のようなものが感じとれた。
ホームレスがショッピングモールへと成り果てた宮下公園に入れない。とのツイートを見て宮下公園が気になり、散歩。自分はなんとかお咎めなく入園できたが、ここが公園と名乗っている理由が分からないくらいにはショッピングモールであった。屋上部分である公園を歩く。
ソーシャルディスタンスが保たれているスタバでコーヒーでも買ってやろうかと思ったが、15人も前に並んでいたので諦めて、自販機でコーヒーを買って妥協する。屋上から真向かいにある、スタバが入っているテナントビルを眺めた。スタバを諦めながら、スタバの入ったビルを眺めてる。すごくスタバに未練がある人に思えてきたので途中でやめた。屋上庭園の日本人、みんななんとなく無理してる空気があって息苦しかった。渋谷を楽しんでいそうな人間が、芝生に寝転んでも、ハンモック型の椅子に座ってみても、自分からしたらそれを街から「やらされている」ように見えてしまう。こんなこと、池袋では感じないのに、どうしてだろう。渋谷の街は、人が街に追いついていない。街が人を置いていってしまっているように思えた。
そのまま渋谷から、原宿へと歩く。原宿駅の竹下通りを抜けたところにあるスタバの入ったビルから、背骨の縮こまった清掃員が出てくるのが見えた。まだ人が歩いているような場所もお構いなしにトングで吸い殻を熱心に拾っていた。そしてまたさらに、観光客が4人で談笑してる間にも割って入って吸い殻を拾う。人なんか一切見えていない、道路上のゴミにしか関心のない様子と、その細やかな動きから「20世紀少年」に登場する清掃員として務めていたヨシツネを連想させられた。あー、まただ。この例えの引き出しも思春期に出会ったコンテンツ。これ、どうにかしないとだな。ムラなく適度に働いて、夜食のペヤングをすすって深夜3時に勝手に反芻、反省。