いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

雑感、って言葉は便利だね 2020/07/01

7月、始まった。夢の中の自分は中学生。なぜか部活動のメンバーが2チームに分けられ、午前中練習と午後練習の2面展開。自分は午前組で、幼馴染の友達と同じチームだったのだが、帰り道になって、中学時代の幼馴染と何を喋っていいかわからなくなり、気まずい思いから幼馴染から目をそらしたら目が覚めた。どこか不穏な下半期の始まり。

横風と雨が強い、台風でも来ているような天候。こういう乱暴な雨と風の音を聞いていると、昔やったゲームボーイ牧場物語の台風の日みたいだなと思う。あのゲームでもこんな天候の日はずっと引きこもるしか選択肢がなかった気がする。確か農作物とかがメチャクチャになっちゃうんだよな。懐かしい。

昨日後回しにした課題に取り組む。NPVの計算はエクセルが勝手にやってくれますよー。と教授が冗談みたいに言っていたのでその言葉どおり関数に当てはめたら一発。PCが画面のが大きくて文字入力のしやすいタブレットではないことをこういう瞬間に思い知っちゃう典型的文系脳。

先週あたりからずっと引っかかってた中間テスト。事前に集中して勉強していた範囲がでれば完璧に答えられるが、そこが出題されなかったらどうしようと不安になりながら参加。テスト問題の発表を20分も焦らすので、思わずPCの前で叫んでしまった。生きてるおじいちゃん先生ってこういうところで融通が効かないので、本当に苦手。肝心のテスト範囲はしっかり勉強していた部分がドンピシャで出題されて感激。サマーウォーズばりのテンションでエンターキーぶっ叩いて答案を提出してやった。自分の不安要素が解消された瞬間、今季最大に脳内麻薬が分泌された感覚あったな。久々にyoutubeを見て声を出して笑えた。

 

anond.hatelabo.jp

 

こんなエントリからの

 

 

 

こんな流れを見てかなりびっくりした。のと同時になんとも自分の欲求に正直な人もいるんだろうな。と思った。やっぱり受け手も受け手で、なにかの主役になりたいんだろうな。あの匿名エントリを読んで、自分が抱いた感想は「うわ!確かにその光景は痛いほど想像できてしまう!書いてる人間もやり場のないモヤモヤがたまるよな…。誰も悪くないもんなこれ」って感じだったのだが、当の感想屋さんは違ったのだろう。「自分の文章力で、自分に関わりのない界隈を動かすことが可能なのかもしれない!いや!動かしてみたい!」なんて思ったのだろうな。全部憶測でしかないけれど。

何かを書く、作る人らにとって他人からの評価からは絶対と言っていいほど逃げられるものではない。その評価がどんなに主観的なものであろうと、恐ろしくロジカルなものであろうと、その受け手が感じたオンリーワンの感情であるはずなのだ。そのオンリーワンの感情の一つ一つが、自分の作ったものに触れて、黙ってブラウザバックするでもなく、何かを残してくれる。それがありがたいことであって、作り手側が求めているものであるはずである。そんな感想を大々的に金銭とって代筆いたします〜。みたいな態度でズカズカ現れて、ましてやその活動が様々な界隈にプラスの作用を与える。と考えている思考がおかしい。自分のブログなんて、決して誰かに胸を張って読ませられるようなものではないけれど、金を払ってもいいから読んで欲しい、そしてフィードバックをもらいたい人がいたりする。だけどそれは決してどこの誰だかわからないような感想屋なんかではない。それは胸を張って言える。

自分はいわゆる”オタク”が書いている文章が大好きだ。ゴテゴテ装飾された情景描写とか、無駄に入れ込まれている感嘆符とか、意図的な語彙力の喪失とか。そういう読んでてカロリーを普段以上に消費するような文章。それが持ち合わせているカテゴリが好きで好きでたまらない、そのエネルギーが文章に全力で注がれているような、そういうがむしゃら性こそが様々なカテゴリの理解の相違点や解釈のレイヤーを生み出すようになると考えている。そういう感情の揺れ動かされる振り幅の大きさで”感想”の熱量も変わってくるし、その振り幅が小さいものは、きっと読み手にもソレ以上の感情の揺れを引き起こさせることはできないだろう。あくまで雑感。