いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

結婚がゴールの結婚はしたくない 2020/08/08

ここ一週間の中で最も何もしなかった一日であると思う。ここに書き出しただけでも自分で唖然とするような生活だったな。

今週のモチベーションになっていた、幼馴染とのご飯。もう一回日程を確認したら来週だった。完全にこちらの勘違い。この機会をかなり大事に思っていた分だけショックも大きかったが、その娯楽のために割いていた日曜日の夜の時間に他の作業を割り振れると考えると、今日という一日を完全にオフにしてもいいくらいには余裕は作れることが発覚。思う存分に何もしないをした。

〇〇活とつくものを全てやめられたらどんなに楽だろうか。直近のもので就活。おちついてきたら恋活。からの婚活。もっといったら妊活に、挙げ句の果てには終活か。どれも一つもやりたくてやっていることではないが、人生において労力を割いている部分が多いように感じる。就活、はまだわかる。自分のキャリアのためにはある程度努力しないと困るのは自分だし、自分の面倒は自分で見ないといけない。当然だ。だが、恋活、婚活ってなんなんだろう。周囲の人間がなんの苦労もなく当たり前に出会って、当たり前に結婚までしていく中で、好きでもない人間と結婚するために関係性を作って「既婚者」のステータスへのキャリアアップを目指して貴重な週休2日制の2日間の休日を棒にふる。書いてて気持ち悪くなってくる。

そういう活動を一切行うことなく自然に結婚できる人と、ある程度の収入まで確保して生活が安定しているのに、そういう活動をしないと配偶者を見つけられない人の格差のようなものが浮き彫りにされているようで、とてつもなく不公平に感じられる。婚活スタートで結婚した人と、自然なコミュニティ間での恋愛で結婚できた人、明確に結婚後の幸福感が変わっていくことは明確なはずだからだ。世間体や、将来の不安などといったネガティブ要因で始めたコミュニケーションから出会える人と結婚するのと、そんなことを一切考えずに交友関係の延長線上での結婚。スタートの幸福度からして明確に差が開いているのに、結婚後の生活でそれが埋まるとは考えられない。それとも、「未婚」の状態は婚活などで獲得できる「結婚がゴールの結婚」に達する時点よりも苦痛な状況なのだろうか。手探りであるがこの不安の正体を知りたい。

自分が結婚するのなら、絶対に前者での結婚になるだろうし、結婚自体がゴールの結婚をするくらいなら、そういう俗世の幸福を諦めたほうが圧倒的に自分のためになるはず。世間一般の「幸せ」をはねのけられるほど熱中できるものを突き詰めたい。それの候補が今の所仕事。はー、一刻も早く働きたい。

多分だけど現在未婚で、婚活に走るような人って自分が婚活をしていること自体をネガティブに捉えている、恥ずかしがっている部分が少なからずあると思う。でも、恥ずべき点はそこではなくて、婚活をして、結婚というステータスにしがみつかないといけないくらいに自分が空虚なモノである点だと思う。独身でも何か夢中になれるもの、一本芯があれば世間体なんか気にならずに生きていけるわけだし。今一番自分が怖いのは、結婚適齢期までに自分の人生の揺るがない一本芯が定まらないこと。それがないと、きっとネガティブな気持ちで婚活に走ってしまうと思うので。

自分の成果物に安直にかけられる称賛の言葉に、素直に喜べない。料理だってまずいもの入れて作ってないのだから美味しくて当たり前だし、ましてや文章なんか各々の感受性で受け入れ方なんかが大きく変わってくる。そういう不確定なものを明確に価値付けられるものが、数字なのかもしれないな。お金だったり、見られた数だったり。でも、この数字で測れる価値って、その成果物自体の価値ではなくて、その成果物を作った人の価値も加えられてしまうのが定石であるように思える。その成果物自体の純粋な価値を判断してもらうには、どうするべきなんだろう。なにかのコンクールとかに出してみるのがいいのかな。人物評価度外視な、純粋なフィードバックが得られる場所で一回評価されてみたい。