いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

ネガティブスタートで書き出す日記 2020/06/27

ガッタガタに生活リズムが乱れてしまって、4時ごろに就寝。「朝チュン」なんて造語があるけれど、ほんとに鳥って朝にチュンチュン鳴いてるんだな。体感してみて初めて「朝チュン」なる言葉の解像度が上がったように感じる。

5年前に半年だけ被った大学のクラスの同窓会なるものが提案されたが一瞬で霧散した。こういうのって本当に会いたい人がいるけれど、個別で誘えないときのクッションとして、グループLINE使われているだけのことが大多数であるのを知っている身分としては、ちゃんと身内だけで完結させてほしい気もする。ましてや4年間関わりない人と今更なにを喋るのか見当もつかないけれど、そうやって昔を振り返り続けないとやっていけないくらい社会って厳しいものなのか。嫌だなぁ〜〜〜〜。

土日に説明会なんか開催する企業って珍しいよな〜、と思いつつ参加。変にzoomを絶対に使用しない企業って一定数存在するのだけどどうしてなんだろう。コチラ側としてはイチイチ初期設定で戸惑う時間がめんどくさいから統一してほしいところ。

IT系の業種の企業であるのに、社内のネット環境がボロボロで回線がガタガタの状態で説明会しているのがなんていうか信頼度低かった。人事の人の温度感って企業によってまじでガラリと変わるのすごい。あのくらいナチュラルに生きられたら幸せなんだろうな、と見ていて感じられる人事さんだった。3時間も時間が指定されていた説明会も、半分程度の長さで終了したりして、なにから何まで緩かったのが印象的。あそこまで集中しないでいい説明会は体感したことなかったので新鮮。

TLに流れてきた、日本文学の名作をスマホで一行にまとめて読めるサイトみたいなものを発見。余白の中心に文字が一行スルーーーーっと滑っていくように連なっているので、こちらもスルーっと滑るように読めるのだが、やはり行間が恋しくなる。

 

自分のブログなんかは本当にただの書きなぐりであるしその文章の先にいる人の見えていない、単なる一方通行なものであるのでなんとも言えないが、物を書き連ねてお金をもらっている人の改行には、その人の息遣いもあるし、場面転換の準備のための息継ぎの要素もあるし、その書き手のテンポそのものであると自分は考えている。

そのテンポが気持ちよくて読んでいる文章もあれば、独特のテンポで読んでいて息苦しいが、その息苦しさに魅せられて最後まで読んでしまうような文章も存在する。そういう趣のあるこだわり的な要素ををあえてわざわざフラットに整えてしまって、それが評価されるのはなんとなく寂しい気もした。すごい下品に例えるなら、焼き鮭の皮を食べずに鮭の美味しさを語っているような人を見る感覚。あなたが食べないその部分が、誰かにとっての一番であることもあるんだよ。

明日はノリで申し込んだ公務員試験の試験日。申し込んだだけで何も勉強なんかしてないし、行っても意味がないので棄権する方針。その代わりに7月頭にある中間試験の問題の解答作りに専念。しようと思ったけれど、なかなか思った以上に作業のカロリーが高くってブログに逃げ込んだ。ネガティブスタートで書き出す日記。なにもプラスが生まれる気がしないけれど、つらつら。