いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

「カレン」という蔑称はある意味で優れている 2020/06/28

ボルダリングの要領で全力でビルを登る夢を見た。

夢の中では自分がやれると革新できたことはどんなに非常識でも大体なんとかなる部分がある。しかし、今回は違った。ビルの中腹あたりで自分の腕力に疑問を抱いてしまい、一気にこれまで当たり前にできていたビル登りが苦しいものになってしまった。どんどん出っ張りに引っ掛けていた手から力が抜けてくる。力めば力むだけ、手汗がにじみ出てきて滑っていく。そんな危機的状況の真っ只中で目覚める。起きた瞬間に、今まで踏ん張っていた右腕に強い疲労感と、両手にこれまでに体験したことないくらいの手汗が。やけに暑苦しく感じられ、冷房をつけてもう一回寝た。

過剰な運動を夢の中で行ったためか、いつも以上の空腹。いつかに作ったペッパーランチを再度作っていたら、家族はそれを見ながらピザを頼み始めた。どうして誰も止めてくれなかったんだ。悔しかったからピザもペッパーランチも両方食べてやった。しこたま食べてやったら思った以上に眠気が来たので、課題の論文の読み込みを先延ばしにして、ゲーム配信を眺めながらソシャゲを一時間くらいやりこんだ。

自分が今まで疎かにしてきた部門の論文をメモ取りしながら読み込む。読み込みを重ねていくうちに理解度がグンっと上昇する瞬間を味わえて、軽いアハ体験であった。久々にわからなかったものがわかるようになる感覚を噛み締めた。色んな寄り道を重ねたが、なんとか課題は形になりそう。

 

news.yahoo.co.jp

 

こぶとり爺さんとか、舌切雀とか、そういう昔話を聞かされて育った人間だからか、こういう勧善懲悪的なストーリーを素直に楽しめてしまう。まぁ記事の書き方もあると影響しているとは思うけど。マニュアル通りの対応を貫いたら大卒社会人の1年目の平均年収を軽く超えるような金額がチップとして集まる。これも一種のアメリカン・ドリームともいえるのではないかな。自分も600万円分のチップをもらえるような晒し上げ、経験してみたいかもしれない。本当に600万円もらえるなら。

あと、もう一つ面白かったのは、記事の中に出てくる「カレン」という新語。

文中の解説を見るに、アメリカでは、白人女性の立場を利用して不適切な発言をする人のことを「カレン」と称するらしい。多分アメリカのSNS上で生まれつつあるネットスラング的な扱いなのだろう。そういった非常識な人間を指し示す蔑称の誕生背景に強く関心を抱いている。

日本で流行っていたものでいうと、いつぞやの日記でも話題に挙げたが、ニートを指し示す「ゆうすけ」「たかし」とか、モンハンスプラ界隈の「ゆうた」とか、そういうところだと思う。まぁでも、アメリカの「カレン」が定義するような範囲の広いものではなく、狭いコミュニティーの、狭いポジションを指し示すものなのだけど。

最近流行ってる「チー牛」も確かに酷似している部分はあるが、個人名ではないから別のであるように自分は感じている。まぁなんにせよ全く関連性のないイラストと商品名が組み合わさって、一種のアデノイド顔男子を指し示すミームにまで発達したのは、同じ意味で興味深い。

様々な意味で、アメリカの「カレン」は自分の中ではよくできてるよなーと思う。これは日本の一部分の動きと比較して言えることなのかもしれないが。

今の日本で見るような「カレン」に最も近いような動きをしている、活動的にフェミニズムや女性平等を訴えかけるように見えて、実際のところお門違いなことを発信して言及されて顔を真っ赤にして引用RTで口論するようなアカウント。彼らのことを目立つ場所で「フェミさん」などと読んでいる人らを少なくない人数見かけるが、これは蔑称としては「カレン」に比べるとナンセンスであるように感じられる。

なぜかと言うと、この「フェミさん」の語源にもなっている「フェミニズム」「フェミニスト」は既に固有の意味がある単語であるため、この蔑称めいた呼び方を使用し続けられると、正しい「フェミニズム」の意味が薄まってしまうようで、このまま「フェミさん」が浸透するのは、社会的に正しくフェミニズムを提唱している人たちの活動の邪魔になるような気もするためである。

だから、こういった、「フェミさん」と呼ばれがちな過剰なミサンドリスト寄りな思考をもっている人に、固有の意味のない別称が必要になってくるのかもしれない。それこそアメリカの「カレン」のような個人名以外に他の意味を持つことのないものに。例えるなら「素子」みたいな。とりあえずそちらのほうが今の蔑称として使われている言葉が本来の意味を薄めるような事態よりはマシなのではないかな。

公務員試験から逃げ出したことで、就活を一ミリも感じることなく日曜日を終えられたのは大きかった。しかし、一日の終わりに家族の週の始まりの感覚がずれていたことが判明した。自分は毎月を月曜始まりの1週間×4セットと捉えていたが、両親たちは日曜日始まりで考えているようだった。使ってるスケジュール帳の違いなのだろうか。同じ屋根の下に住んでいる人間でその細かい部分の認識が異なっているところにささやかなノイズを感じ取った。