いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

スーパーでの心理戦 2020/06/16

ずっと寝てていいと言われたらずっと寝れる気がする。8時から10時半まで、頭は起きているが身体は寝ている状態でぼんやりしていた。滑り止め感覚で受けている企業の説明会が予定に組み込まれていると本当に身体が動かないな。

説明会で予定されていた時間よりも過剰に喋る企業にいい印象を持てないまま、大急ぎで昼食をかきこんだ。志望度の低い企業であるのに、その企業の説明会もキャンセルできないまままに最後まで聞いてしまい、大事な予定に穴をあけそうになること自体がストレスだった。自分の組み込んだスケジュールを外部の都合で崩されるって本当にストレス溜まる。大したスケジュールでもないのにこれだから、これから将来、もっと重要なスケジュールでこういう事態になったらもっと不快感すごいんだろうな。

ブログを眺めていたらそこで紹介されていた鶏つくねが以外と簡単にできそう!衝動に駆られてスーパーへ。スーパーの会計ってなんか緊張する。ただ単に流れ作業でレジ通されているだけなのだろうけど、買い物かごの中身で何か自分の価値をレジスタッフに監査かけられているような気分になる。だからいかにもその日の献立が明確なセットで食品を購入しちゃったりすると自分の食事情が筒抜けになっているようで過剰に恥ずかしくなる。

最近恥ずかしかったのは、ウイスキーと炭酸水とチーズをセットで買ったとき。あきらか晩酌セットじゃん。酒クズの自己紹介をこなしながら買い物をしているかのようで、店員さんの顔を見れなかった。だからなるべく、スーパーで買い物をするときはジャンルをバラして、自分の生活観をカモフラージュするようにゴチャゴチャと買い物することを心がけている。

でも、そういう意味でいうと、今回は逆の意味で生活が見えてこない買い物カゴの中身が形成できたと思う。鶏もも挽き肉450g。単品。これだけ買われてもその先の食生活も見えにくいだろうし、店員さんのスキャニング機能から逃れられたようで、一人で勝ち誇った。

鶏つくねのレシピ通りに食材を混ぜる。簡単に言ってしまえば肉団子なので、作り方はほぼハンバーグ。味付けと使う肉が違うだけ。だけども自分は鶏つくねを作っている。鶏つくねに関する執着を形作るように肉塊をつくねの形に形成した。

タレは甘辛く和風テイストに。キレイにまとめられて抜群に想像通りの鶏つくねが完成したのだが、家族からの評価が「和風テイストのハンバーグ」だったのが引っかかるポイントだった。うーん、もっとしっかり「これは鶏つくね!」と言わせたい。なんこつとか細かくして入れてみたり、タレではなく塩で提供してみたりしたら「鶏つくね」認定してくれるのだろうか。

湯船に浸かる時間、一番脳みその普段使わない部分が動いてる実感がある。毎回このブログに書いてやろう!というものが思い浮かぶのはここ。今日も今日とてバスタイム中にひらめいたことがあって、ブログに書いてやろうと意気込んでいたのに今の今まで忘れかけていた。危ない危ない。今回は思い出せてよかった。

世間で定期的に騒がれるストーカー。一方通行の愛情が間違った形で表現されてしまっている例の1つでもあり立派な犯罪行為。この行動の原理になっているのが、対象に対する行き過ぎた愛情であると考えていたが、意外と間違っているのかもしれない。この行動の原理となっているのは「めんどくささ」なのかもしれない。とふと思った。

その対象が愛おしくてたまらない、離したくない!の気持ちももちろんあるのだが、それ以上に「また恋愛対象となる人間を見つけるのがめんどくさい」「今まで培ってきた関係値を無駄にしたくない」という別ベクトルの負の感情のほうが強く作用してるんじゃないかなーとか思ったり。

ましてや、ストーカーになりがちな人って人付き合いが苦手な人が多い印象あるし、そういう人らが無理に努力して作った人間関係を簡単に手放すことは難しいのではないかなー。愛情とか恋愛とか、最近一気に理解できなくなってきてるけど、「めんどくさい」という一番共感できるものにストーカーを当てはめてしまうと、間違った形かもしれないけど少しストーカーについて共感できるような気もした。