いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

作者の気持ちを考えるbot 2020/06/23

2日連続でビール飲んだら久々に盛大にお腹壊す。体調が悪いときにすぐに寝込める環境にいるかスッと寝込む。今日参加する予定の説明会の5分前まで寝込む。なぜか人事のメールが迷惑メールに振り分けられていて、無事?遅刻。受かりそうな企業の説明会にになればなるほど周囲の就活生から覇気が消えてくような感じがする。自分の住める場所はここだぞと言われているようでかなり苦しめられる。行きたい場所に向かう努力をしていないのだから、これは当然の報いであるけれどまだ受け入れられていない。

Twitter上でTwitterのユーザーに文句を言ってる人達「Twitterの人らのこういうところが嫌い〜」みたいなことを丁寧に丁寧に言ってるのだけど、その発言者自身もこちらがわからみれば「Twitterの人」なのに、自分でそこのくくりから外れているような発言をしているのが面白いな。と感じた。

 

特定の話題、ワードに過敏に反応する人たちの存在を無意識に見過ごしていたことに気がついた。

 

 

 

 

ここらへんのツイートで、一例として上げられているだけの「箸の持ち方」に関して過剰に反応するような人らの存在の多いこと多いこと。上記の2つのツイート内でも箸の持ち方なんてのは起承転結の中の起の部分。触りの話題であるのに、当人らが伝えたかった結の部分の話に発展していない様子のリプ欄。ツイートした本人たちもうんざりしてるんだろうな。そもそも前提として、言及している人たちがこの話題を提起している人たちが、マトモに箸を持てていないように8割型決めつけて上から突っかかってきているのが怖い。

SPIとかの言語問題とか、現代文のテストとかで躓いたことがない人間だから、そういう訳のわからないこだわりを持ったまま話の本筋に入れていないでウジウジ言う人の気持ちになりきれないんだけど、多分もどかしいんだろうな。お互いに。結論のゾーンを喋りたい人と、具体例から話の進まない人たち。歯車ガタガタの同じ言語を使った会話。見ている方ももどかしいね。日本語が難しいのか?多分そんなことはないはず。

ずっと楽しみにしていたラジオ局が舞台のアニメが最終回を迎えてしまった。アニメをリアルタイムで追っかけて最終回を迎えたときに、なんとも言えない虚無感を感じてしまう。

1クールのアニメだと大体3ヶ月とか。そんな月日の中でアニメの中ではしっかり主人公が自分に降りかかるトラブルに向き合ったり、ライバルと張り合ったり、恋愛を発展させたり、スケールを大きくすると世界を救ったりしているわけなんだけど、それに比べると自分の3ヶ月がめちゃくちゃスカスカなように思えてしまう。

いや、アニメの中の時間経過のスピードが早いのは百も承知なのだけど、そこは根っからの文系人間。作者の気持ちを考え続けて生きていたので、どうも登場人物に気持ちが入り込みすぎてしまい、自分を比較するのをやめられない。今回のアニメではカレー屋のバイトが深夜ラジオのパーソナリティになったりしたんだけど、そのあいだの自分と来たらひたすら企業から祈られ続ける日々。

フィクションの世界並みに自分の周りにも何か起きてくれたらいいのにな。平坦な道をダラダラ歩くのには飽きが来ている。いや、自分の行動で全部のイベントのキッカケをぶち壊しているだけかもしれないけれど。

今はそんな自分の道が少しでも華やかなものに見えるように、道端に落ちている小石を一生懸命拾い集めて磨く日々。今の自分にとっては小石かもしれないけれど、もう少し先になったら価値がでてくるかもしれないしね。コロナ序盤の花崗岩みたいに。今の自分の日記はそんな小石の寄せ集めで出来ている。

 

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