いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

リハビリ

正解を相手に押し付けるようなコミュニケーションってあるじゃないですか。アレを、やめたいんです。

今仕事終わったよ~、に対してはお疲れ様ー!とか。今日誕生日ー!に対してはおめでとー!とかそういう条件反射で一回の会話のキャッチボールが成立しちゃうようなそういうコミュニケーションを減らしたい。いや別にそれ自体が悪いことと言いたいわけでもないし、やって損することでもないし、むしろそれが出来たほうが世間的には接しやすい人という評価をされることも十分承知しているんだけども、それを周囲の仲良くしたい、長く接していきたい人たちにやってしまうと失礼な気がするんですよね。その親しくしていきたい友達たちに。

そういう正解がほぼほぼ決まってるような返答って、いってしまえばその人じゃなくてもできるものだったりするわけで、でも自分がその”正解”を欲してるがために正解を導き出すためのワードを脳死でぶつけているわけであって、それって相手を人間と見ているようで見ていない気がするんですよね。無意識に話し相手のことをその言葉を発してくれるモノとして扱ってしまってるような、親しい人間に親しく接しているようで究極に乱雑な対応をしてしまっているような気がしなくもないんです。

でも会話ってそういうものじゃんね、とかそんなこと言ってたら何も話せなくなってしまうよ。とかもちろんそう。その通りなのだけど、やっぱり自分はそういう会話のやり取りが好きじゃないし、したくない。だから最近なんにもしゃべれなくなってきてる。けれどこれでいいんじゃないかなって思ってる自分も少なからずどっかにいて、同調に次ぐ同調のコミュニケーションを今まで過ごした集団生活の時期に刷り込まれ続けて、それしかできなくなってきている自分を自覚しだして、そこからの脱却を強く強く望んでいる。自分と話してくれる、ありがたがって(?)関わってくれる人間が自分のことを打てばそのまま響くような壁のようなものだと思って接してくれている部分があると思うので、そのステップから一歩上に行きたい。自身に深みを作っていきたい。この先ずっと壁打ちの壁でこの先やってくのはさすがにしんどいし、そこから抜けるなら今だと思うので自我のある壁にレベルアップしたい。そのためのリハビリ。そのためのアウトプット。そのためのブログ?よくわからなくなってきたが人との付き合い方を変えて、関わる人間もアップデートしたい。さのでいいかを減らして、さのじゃないとだめだ!を増やす。