いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

4月パンデミック

 

春、4月、新年度、新年号。新年号はあんまし関係ないか。

4月は本当にテンポが狂う。

春の柔らかさ!フレッシュさ!みたいな感じで浮ついた空気が充満しすぎてて、スッと春の空気を一息吸い込んでみればそのフレッシュさにむせ返る日々。

普段使ってる新宿駅もなんだか知らないけれど、人の流れが緩やかに感じられてくる。たった3ヶ月前の皆が厚ぼったいコート羽織って身を屈めながら乗り換えに必要な最短距離を早歩きしていたのが嘘のように、駅全体にまばらに人が流れ、散りばめられ、ゆっくりゆっくりホームや改札に流れてく。

 

誰もがみんなフワッフワしてて、履き慣れてない靴履いて乗り慣れてない電車乗って。本当は不安なはずなのに、桜の花のピンクがそれを新生活に対する期待だと錯覚させてただでさえフワッフワな気持ちをより浮き立たせている。浮足だって、空回る。

そんな空回ってる状態の中で新入生、新社会人は所属する集団を確定し、より自分に適したポジションにどうにかこうにか自分という存在をねじ込む必要がある。それだけならまだどうにかなるのかもしれないが、そこで自分の立場を一新したものにチューンナップしようとするような欲張りさんも登場してくるわけで、人の選りすぐりはさらに困難になっていく。

そんな空気が蔓延しているからなのか、浮足だってる新人を迎える側も「まぁ、ゆっくりやってくれや」みたいな空気感を醸し出して、この春が引き起こした壮大なカオス空間を放任しだすのだから、みんなそれに甘えてパーソナルスペースを少しずつ、少しずつ普段よりも狭めて狭めて普段の自身のキャパシティ以上に他人と交流するし、そうせざるを得ない。

その結果、自身も訳が分からないままに集団出社とかしだして乗車率200%超えてる満員電車の乗り込んで20分ほど運行を止めたりする。本当勘弁してほしい。

花見なんてしようものなら普段ふんぞり返ってビール飲んでるようなやつが率先して焼き鳥焼きだしたりするし。お前それ一生やれよ?

そんな浮ついた空気の中周囲を査定しようとしてるのは自分だけではなくて、周囲も同様。相当な年月生きてきた自分のことをたった2,3日かそこらであっちが知ってる人間のタイプにカテゴライズして、仕分けて対応してこようとしてくるのに気が付かないふりをして、あちらが求めるものに自分が慣れればオールオッケー。なれなかったらごめんなさい、お祈りメールでさようなら。

でもさようならも露骨には出来ないしああ無情。

 

4月も気がついたら半分過ぎてて、Twitterでは知らない誰かが、同じく全く見知らぬ誰かに向かって誰にも頼まれてもいないのに「新〇〇に一言アドバイス!」とかなんとか言っちゃっていい感じにいい人ぶろうとする時期が終わって、地に足つけて5月病に突き進む段階になってる。

この段階でやっと4月特有の「空回りが許されるシーズン」が終わりだして、世の中が本格的にしばいてくるんですが、頑張れますか?佐野は無理そう。喉に詰まって苦しくてたまらない4月への鬱憤がまだまだ腹の中で残っている。今回の記事で半分は拭えたがもう半分は未だに健在。全部取り出せるようになる頃には、季節はもう夏だろう。