いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

何を言うかではなく誰が言うか 2020/06/15

ひと月前から育てていたニンジンが完璧に枯れた。コレ以上にないくらいにわかりやすく「この暑さには耐えられません!」と葉っぱが語っていた。ニンジンのモーレツな成長の様子を自分の日々の糧にしていた部分があったので、自分のやる気のメタファー的な要素を掛け持っていたニンジンの死には少なくないダメージを受けてしまった。今まで本当にありがとう…。

水原希子が最も美しい顔ランキングを批判していた。それを「最高!」と両手離しで喜んでいる人間の思考が理解できなかった。仮にも彼女はモデルとして、自分の容姿に価値を付け、値段をつけて、活動しているような職業なわけで、自分のルックスが評価されて飯を食べているような立場の人間が、ルッキズム重視の価値観に疑問を訴えかける様子ってどうにもお門違いのように思える。ストーリーで長文でお気持ち発散していたが、自分からしたら全部の文章の前に(私は自分の容姿でご飯を食べているけれど)という理屈が勝手に浮き出てきてしまいどうにも納得できなかった。

まぁでも、今回納得できないのは水原希子自身の要素は少ない。水原希子だって普通の年相応の女性。なにか身近な事柄でイライラしていたときに、よくわからない個人が運営しているミスコンみたいなランキングサイトから唐突に、2年連続で評価されたらイライラだってするだろう。そのイライラを正当化するために、自身のニッチな怒りを外見評価が重視される世の中全体の問題のように過剰に風呂敷を広げ世の中に発信したくなったりするだろう。そんなぽっと出た怒りに世間全体が赤べこも青ざめるくらいの勢いでモーレツに頷いている様子が気持ち悪すぎるし、水原希子自身が苦言を述べている外見至上社会の現れに見えて、どうにも腹の虫が収まらない。

 

 

見た目で人を判断するのは絶対違うと思うし、そもそも一番美しい人なんて選ぶことは不可能。このランキングによって偏った美の概念やステレオタイプな考えを広めてほしくない。美の基準や定義なんて人によって物差しが違うから本当に様々だしいくら容姿を綺麗にしていても人に優しくなかったり、意地悪な人は美しい人とは言えないと思うのです。私は心が美しい人が美しい人だと感じます”

 

仮にこのセリフを女芸人とかが言ってたとしても、みんな鼻で笑って終わりだっただろうに。なんでこうやって何事も何を言うかではなく誰が言うかで評価されてしまうんだろう。

あー、書いてたらやっぱ水原希子もなんか違う気がしてきた。やっぱりモデルみたいな外見を評価されて金銭もらってる人がいうセリフではないよな。さながらマリー・アントワネット。問題に関心はあるけれど、当事者ではないから一見正しいようにみえる綺麗事をこんなに自信たっぷりに書けちゃうんだろうな。

パンがないならケーキを食べればいいじゃない?=外見が美しくなくても、心が美しければ美しいんじゃない?。

心の美しさで飯が食えるような世の中になったらいいですね。そうしたらみんなあなたのいう”美しさ”に一歩近づくのではないでしょうか。あーやってらんね。

 

身も心も美しくない自分はちゃんと身体を動かしていかないとご飯は食べれない。定期がないので片道300円かけてアルバイトに向かう。実に2ヶ月ぶりの労働。業務連絡にいまだFAXを利用しているバイト先に、まさかまさかのタブレットが2台も増設されていて驚いた。コロナウイルスが一つの時代遅れのラーメン屋にもたらしたものはインフラ化の兆しだった。

久々の外出の中で初めて感じられたAfterコロナ。一時間に2件くらい、個人事業主という名のデリバリースタッフがやってくる。自分の住んでいる地域はギリギリUberの対応エリア外なので、実際にサービスに触れる機会はこれが初めて。もっとオラオラした人間がブイブイ言わせながらやっているのかと思っていたが、吹けば飛びそうな小柄な学生とかがメインでやってきて肩透かしを食らった。お店の閉店間際にやってきた配送スタッフが、ヘルメットを脱いだら思った以上に老けていてなんとも言えない気分になってしまった。自分の父親と同じような年齢でその職業って大丈夫なのか。そんな年齢になってもこの働き方を選ばないといけないくらいには世の中に雇用は存在していないのだろうか。ちょっと寒気がしてしまったな。