いちごのヘタ

頭の中にいれておいてもしょうがないこと

メモ書きから、考察から。 2020/08/10

5時に起床。イベントバイト。集合時間が8時近くになると不安になって、過剰に早い時間に身体を現地に持っていってしまうのはいつからの習慣だろうか。おそらく中学校からだろう。ストイックな幼馴染の練習に付き合いながら、7時半から始まる朝練に6時半に向かうと「遅い」と指摘されるような環境が生んだ処世術なのかもしれない。今日もこうして集合時間の30分前には集合場所の最寄り駅に到着していた。時間に余裕があるので腹ごしらえでもしようかと考えたが、原宿駅で朝方から営業を始めている飲食店がなぜか汚らしく思えてしまい断念。マックも小汚く見えるし、吉野家なんか朝から食べる気にはなれず、ドーナツ一個を放り込む。これから10時間くらいこのドーナツのエネルギーのみで身体を動かすことになるとは…。

仕事の段取りの関係で、初対面の人とトラックで40分間ドライブ。夢を仕事に繋げている業界の人間のリアルを面白可笑しく話し合う。ろくすっぽ興味の持てない業界の就職活動に逃げていた自分としてはかなり魅力的に思えたが、この道には進めない…とも感じた。

自分の会話のモチベーションを知る。会話が好きなわけではなく、沈黙に耐えられないだけなのだ。自分のいる空間で、誰も喋っていない状況が発生していることに落ち着かないため、その焦りを誤魔化すために喋っている。自分本位のトークなのだ。それを度外視して、本当に他人を知ろうとしてトークを始められるバイトの後輩のコミュニケーションを見て心底そう思えた。コミュニケーションの質を変えたい。単発の投げっぱなしの対話から、相手の投げ返しやすさを考えた次に繋がる対話へ。

理不尽な叫び。マスクで声が通らないなか、必死で文言を繰り返し相手に何かを伝えようとしているときに、声が聞き取りにくい素振りをされるが、その素振りをしている人間の耳がイヤホンで塞がれていたとき。自分の伝える努力と、相手の聴こうとする努力が釣り合っていないように思えて、不服だった。いくら客でもそれはないだろう。

久々にどっぷりと疲れを感じている。朝から晩まで働き尽くした。今まで感じ得なかった自然な眠気に包まれている。もっと様々なことを感じた一日だったが、これを思い出すには体力が足りなすぎる。今日の印象的なものとして、ケータリングで出された4桁はするだろう中華弁当は冷めきっていて、味は悪くないのに食欲は失せてしまったが、全ての業務を片付けた後に食べた吉野家の牛丼は過去一番に染みた。朝あれだけ胃が受け付けなかった牛丼が、するすると身体に入っていくことに驚きを隠せなかった。

 

さて、それはさておき。

今日の忙しい時間帯の中でスマホのメモ帳に書いてあったメモ書きの反芻。

 

話し言葉で書かない

→自分のブログを読み返した後に、他の人のブログを読んだときの感想。話し言葉が多用されていると読んでいるときに空気感は軽く感じられるが、いかんせんフワフワとまとまりのない文章に見えてしまう。少し控えて、書き言葉を意識しながら書くことを意識しようと思えた。

言葉の引き出しを増やす

→辛い状況を連想する言葉を思いつく限りに並べる。並べて並べて並び尽くしていけば、ボキャブラリーが枯渇して、その奥から最後の一捻り。自分の思いもよらないような「辛い」が絞りだせたりするのではないか。という疑問。ゴールのない連想ゲームを繰り返して、珍妙な例えを簡単に出せるようにしたい。

バズツイのリプ欄は答えあわせ

あるあるネタでバズっているツイートのリプ欄を確認したいという衝動は、自分と同じ考えを持った人がいるのかどうかを確認したいから。これっていわゆる答え合わせだ。要するにバズるツイートの要素に必要なものとしては、そのような価値観のすり合わせの要素になりえる何かであるのかもしれない。

子供好きを公言する男、きつくないか?

→「子供」は好きとか嫌いとかの感情を持って接するものではないと思うし、あえて好きだと公言しようと思う人間の奥底の魂胆のようなモノを感じ取ってしまい寒気がする。子供が好きなのではなく、子供が好きなことを公言している自分が好きなのではないか。子供を好いていることで得られる社会的なプラスの評価を安直に享受しようとしているのではないか、などと、子供好きな男を、単なる子供好きな男として捉えられない自分がいる。自分が子供嫌いなので、一生分からずじまいかもしれない。だがやはりあえて子供好きを公言してる男の胡散臭さは全世界の人間が感じ取ってほしいと常に願っている。